恋愛や見合いの末に結ばれるのではなく、客観的に認められているスペックでパートナーを選ぶのがトレンドになっていますが、相手ばかりを見て自分をおろそかにしている人は危ないですね。
カタログスペックというのは真実を書いていてもどこかに穴があるものなんですよ。
健全な交際を続けていくにつれて男女の長所と短所が少しずつ明らかになるんです。
それをせずにスペックだけで相手を選ぶというのは、試着せずに服を買ったり、下見もしないで家を購入したりするようなものです。
服ならばサイズが合わなくても服としての価値は保たれるし、家も財産として残ります。
最悪、売却すればいい話。
同じようにパートナーも財産や資産として保有するという認識になりますが………
それは百歩ゆずっていいとして、問題は「ガチャ」です。
たとえクローンだとしても育った環境によって大きく変わることがわかっているので、必ずしも期待される結果にはならない可能性があります。
むしろ期待値が大きいからこそショックが大きい。
それで安易に「やり直し」……
気の済むまでガチャ……
仮にそれができたとしても、毎回ガチャから似たりよったりの成果を選んでいては多様性のかけらもありません。
どんなに理想と思われても、どれほどハイスペックであっても、終始似た遺伝子ばかりを残すというのは種として脆弱性をもたらします。
いま優秀とされているものが20年後も優秀である保証はありません。
価値観や好みというのは無情にも変化していくものだからです。
そのつどガチャをやり直すことができますか?
20年先を予期できず目先の利益だけを求める人が本当に優秀といえますか?
よく考えてください。
20年前の最先端が今となってはどう見えるのかを。
20年前の最新型携帯電話を押し売りされるようなものですよ?
今とは電波の規格が違うので使い物にならないでしょう。
人間の子孫にもそれに近いことが起きているんです。
多様性を欠いた画一的な教育を施し、夢よりも現実を追い求める人はいつの時代も時代遅れなのです。
20年前の現実は今は妄想に過ぎないこともあるんですよ。
柔軟性が鍵です。
「周りに流されたフリをして徐々に元に戻る」という柔軟性が必要なのです。
流されたままでは致命的にまずいし、一切流されずに立ち続けるのも「折れる」危険があります。
「最終的に生き残ること」が目的なのですが、そこで「なぜ?」と聞かれると答えられません。
なぜ生き残るのか………
それは各自が見つけていくしかないでしょう。
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