AIですら失敗と試行錯誤を繰り返しながら上達するのに、それを思考停止で叩くだけの人間が何を生み出せるのでしょうか。
絵画だけでなく運動競技や楽器演奏、数学の計算、漢字の書き取り、料理などあらゆるスキルは反復練習によって学び、上達するものです。
それが人か機械であるかの違いだけで本質的には何も変わりません。
一度も練習せずに技術を身につけた人だけが叩く権利を持っています。
AIは結果だけが注目されやすく、それに至る過程はブラックボックスであることが多いために「何の苦労もなく作品ができる」と非難されがちです。
新しいテクノロジーが生まれても、法律や制度に訴えかけて潰されることがあとを絶ちません。
既存の権利を守ろうとするあまり、新規な技術の普及を妨げてしまうのです。
古い概念に足を引っ張られて不自由な生活になっています。
若い時分に貴重な時間を割いて学ぶ必要のない教科を学び、実用的なことを学ぶ機会が与えられず、無駄な労苦ばかりさせられるのが本当に先進国なのでしょうか?
AIが普及したってどのみち人間がそれを「管理」しなければならないわけだから、人間の仕事がなくなることを心配するのは的外れだと思います。
テクノロジーが発達して生活が豊かになったといっても、娯楽や課題が増えすぎて時間が足りなくなっていませんか?
むしろそれを心配するべきです。
歴史を保存することはたしかに重要です。
目上の人に敬意を払うことも重要です。
しかし古いものを守るために新しいものが犠牲になるのは感心しません。
それだけ「変わりたくない」「成長したくない」「今のままでいたい」という人が多いということなのでしょうか……
パソコンやスマホだってできれば毎年替えたいくらいなのですが……
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