2022/08/15

架空の人物に語らせる「お人形遊び」を真に受ける人が続出

「知り合いが言っていた」「道ですれ違った人の話」「電車で目が合ったJKから渡されたメモ」──いずれもそんな人物など存在せず、実際に聞いたわけでもない巧妙な作り話は枚挙にいとまがない。

しかしそれを事実と受け止めてしまう人がいる……


創作が得意な人に罪はありません。言論と出版は自由であり、何を思って何を伝えるかは制限されません。
ところが個性や「限度」を超えた作り話を繰り返す人は何らかの精神疾患の疑いがあり、それを真に受けた人に影響を与えているのもまた事実なのです。

承認欲求が鍵です。

渾身のネタが思いのほかウケなかった場合、しだいに冷めて平常に戻るのが普通ですが、中途半端に評価されると承認欲求が跳ね上がります。

そうしたこともあり、かつては欲求そのものを出てこないように厳しい「しつけ」がされていたのです。
そもそも娯楽の種類が少なかった時代は、現実的な欲求しか出てきませんでした。

現代では娯楽から離れることのほうが困難です。


それで人々の生活が豊かになったのかというと………どうでしょうか。


あらゆることを他人と比較できるようになり、自分の立場や順位を絶えず意識させられるのがSNSです。

事実とは異なることをつぶやいたり、プロフィールを盛りまくったりするのはなぜですか?

そうすることのデメリットがないからです。


当たり前のことを当たり前にしていても注目のされようがありません。
とにかく「人と違う」振る舞いや趣向が重要なのです。


プロフィールで経歴や年収を大きく偽ることがどうして問題にならないのでしょうか?

問題になるほど他人と深く関わることがないからです。

SNS上「だけ」の付き合いなら、自分の本当の経歴や年収などは知られようがありません。
「頭よさそうなフリ」や「お金持ってそうな雰囲気」を演じるだけで十分です。

どうせリアルに知り合いなんていないし、実際に会うわけでもないし、ましてや真剣に交際するつもりが微塵もない人の場合、プロフィールを盛ることによって効果的に自己アピールでき、承認欲求を満たすのに都合がよくなります。

むしろ馬鹿正直にプロフィールを書く人はSNSに向いていません。

しかし、万が一にも誰かが結婚を申し込んできたら大変です。
経歴や年収を偽っていたことが全部、何もかも化けの皮がはがれてしまうからです。


楽しいお人形遊びのつもりが「お人間遊び」になると、関係者全員が被害者のようになって気まずくなります。

最初から最後まで仮想世界に身を置いたほうが幸せなのではないでしょうか。

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