2021年10月3日日曜日

見合いの文化が多様性に置き換えられた結果…

かえって未婚率が高くなりました。

任意の相手を選ぶことができる半面、誰も選ばないのもまた多様性として認められているからです。

見合いの文化がなくなったため、黙って待っているだけでは出会いがありません。

それで……

相手を探すためにあらゆる手を行使しなければならなくなりました。


その大半は自分を偽るプロフィール。

写真を盛り、経歴を盛り、趣味を盛り、理想を盛り………分相応の出会いを逃しています。

最終的に「普通の相手」を求めるのですが、それすら叶わなくなると独身に落ち着きます。
結婚しないことを多様性や選択の自由ということにして納得するしかありません。

理想というのは青天井。際限なく高くなります。

……では「普通」というのは何なのでしょうか?
平均値? 中央値?
誰も説明することができません。


私は普通の人を好みません。なぜなら普通の人は私を好まないからです。

セクシー構文っぽいですが…真実です。


大切なのは「普通」や「常識」という概念から離れて、自分のありのままを正直に見せることです。
そうしないと一生、自分を偽り続けなければならなくなり、最愛の人にすら本当のことを伝えられません。

自分を偽るのは大きな負担になるため、結婚が上手くいかなかったり、恋愛に消極的になったりするのです。


多くの人にとって「多様性」がもたらしたのは文字通りの多様性や自由ではなく、堅苦しい制限と理不尽な束縛ではないでしょうか。

結局「普通」を求めてしまうことが何よりの証拠です。


もし本当に「多様性」を誰もが受け入れているのなら、「親ガチャ」を心配することはないはずです。

どんな親から生まれてきても、それは多様性の子です。

それを受け入れがたいと感じるのは………多様性が足を引っ張っていることにほかなりません。


多様性の社会を息苦しく感じている人が多い一方、私はとても快適に生きています。
本当に関心を持っている人しか絡んでこないので、不自由がないからです。

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