2022/01/18

落ちこぼれを生み出す教育は結果的に損失ではないのか

その教育が有効な間はよくても、時代や情勢の移り変わりによって価値が下がるばかりか害悪にさえなる可能性のあることを認識しておく必要があります。
村人かと思って話しかけたら戦闘が始まった。
じへいがライブで話していた言葉がずっと引っかかっています……

学校というのはできのよくない子供を教えるのではなく、成績のいい生徒をふるいにかけているだけ。

優秀な人は学校へ通わなくても優秀だし、そうでない人はどんなに学んでも優秀ではない。

いわゆる優生思想なのか……言ってはいけない事実なのか……


短いスパンでは優劣の正しい判断など不可能ですけどね。

もっと多くの動物を観察すれば、必ずしも人が思っているような「弱肉強食」や適者生存にはなっていないことがわかるでしょう。

「なんでこの動物が生き残ってるのwwww」というのを誰もが感じるはずです。


なので人間も……

人間の決めた基準やものさしで評価せず、現実を見て判断したほうがいいでしょう……

誰かを褒めれば、別の誰かをけなしているように捉えられる。

これもじへいがよく言っていることなんですけどね……
ちょっと考えればわかるのに、言葉の表面だけに反応してしまう人がけっこういる。
「キヤノンのコピー機がいいというと、富士通やゼロックスはだめなのか!?」っていうあれですwww

あの理屈でいくと、もう誰かを褒めたり評価したりできなくなってしまうんです。

みんな平等にしないといけない……


落ちこぼれを生み出す格差社会でも、みんなが平等でも、首尾よくいくとは思えませんねぇ;;

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