まぁ体育はね……
どうしても学習指導要領の都合上、競技性や協調性が求められる教科なので、純粋に「運動」できるかどうか怪しいんですよ。
成績や進学、就職に影響するという圧力をかけられているので、楽しく体を動かすことができません。
どうしてもクラスに1人や2人は体育が壊滅的にできない子がいます。
しかし学校はそんな少数のために授業を遅らせたり、ほかの児童・生徒の足を引っ張らせたりすることを容認する構造にはなっていません。
画一的で融通の利かない授業ばかりで、できの悪い子供を教えるのではなく、優秀な者を選別するだけだからです。
もちろん当事者も努力はしますが、それでもどうにもならない場合はあります。
クラスの迷惑にならないように本人の意志で休校する以外に合理的な対応ができません。
問題は学校の成績や就職に響くことだけではなく、運動そのものが嫌いになったり、ろくなサポートを得られない現実に悲観したりしてしまうところにあります。
一つがだめなら全部がだめだ──。
とにかく極端な思考にとらわれて人生が狂います。
学校は時としてそれほど極端な要求をするのです。
思い詰めて「そもそも頭の悪い自覚のある人が少しでも賢くなるために学校へ通うのだ」などというような認識が起こると、歪んだ全能感や支配欲が芽生え、「反社会性がデフォ」のような恐ろしい人間性が形成されてしまうかもしれません。
怖いのは本人にはまったく自覚がないということです。
……
学校は……一人ひとりの能力や発達の程度に応じて柔軟に対応する準備が整っていません。
何かの拍子に具合が悪くなり、それから復帰できない場合でも、授業の内容をその一人に合わせて遅らせるわけにはいかないのです。
「病気は必ずよくなる」という前提で話が進んでいくのでもうわけがわかりません。
「一度でも脱落したら終わり」なのが現実です。
生きているだけでめんどくさい──。
こんなことを訴える子供を理解できないような人間は教師になるべきではありません。
学校に対して憎悪の念を抱いている人は決して少なくないでしょう。
顔も見たくない先生や名前を聞きたくもない同級生に心当たりのある人もいるはずです。
本当に「いい思い出」だけの人なんてこの世に存在しません。
思い出しただけで気分が悪くなる──。
オンライン授業はむしろ大歓迎で、導入に翻弄されている様子を見て笑いが止まらない人もいるでしょう……
えげつない……
ニューノーマルというか……もっとまともなものを一から作り直したほうがいいのかもしれません。
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