2021年9月24日金曜日

親ガチャのメリット

急速に悲観論が広まって社会的な目標や水準が低くなるのは、逆に大した活動をしなくても満たされるということでもあります。

よくある「自分でも手が届きそう」という認識が強くなり、かえって以前より意欲的な姿勢を見せる人が増えてきたように思います。


汚い手ですが……
周りのレベルが低くなってきたので、ほんの少し工夫するだけで優位に立つことができるのです。

底辺になればなるほどその傾向がみられ、非常に低水準で僅差の競争が繰り広げられています。


「親ガチャ」という概念はかなり以前からありましたが、従来はあくまでネタとして扱われていたのがつい最近になって急に現実味を帯びてきました。

親ガチャや優生学や選民思想といったものが蔓延しているようです。

……それほど一般受けするというか、受け入れやすい内容ということでしょうか。

本来は受け入れがたく、禁忌なものだと思っていたのですが。


「社会」のふたを開けてみれば、なんとも理想とかけ離れた光景が広がっていることに絶望した多くの新社会人……。


この世は本質的にランダムであり、あらゆる事象や自分の存在すらも無作為に抽選されていた。
強い者や賢い者、それに努力した者が生き残っていることを示す明確な根拠はなく、偶然が重なってそうなっているだけ。

「偶然の産物」と考えたほうが納得できるのでしょう。

その結果………親ガチャ。


受け入れやすいものを信じるのは間違いではありません。

確率を「ある程度」制御できることはわかっているので、ますます配偶者を吟味するようになるわけです。
それで……今度は妥協できない人が増えました。

水準をこれでもか!というくらい下げても出会いのない人がどれほどいるのでしょうか。
もはや出会いを求めることが目的になっており、その先の計画は白紙ということもザラです。

そうして何年も何年も経過し、諦めのついたころ……

「やっぱり親ガチャが外れたせい」と悟るのです。


しかし……

「外れから当たりは生まれない」となると、人類は絶滅するしかありません。

それは事実でしょうか?

遺伝子に絶対的な決定権(?)があるのなら、そのうちの「外れガチャ」の個体に生への執着と性欲が備わっているのは矛盾していますよね。これを誰も説明できません。


そもそもガチャは大部分が外れです。
当たりは最初から入っていないことさえありますよ。

いったい何がそんなガチャを必死に回させるのでしょうか。

人間は本質的にランダム要素を好み、確約された結果など期待していないとしか思えません……


親ガチャが蔓延するずっと前から、「SNSで他人となんでも比較される」「著名な人が身近に感じられる」ようになったことで
社会的に成功しなければ意味がない
といった無謀な目標を持つ人が増えた、というか、仕向けられた経緯があります。

SNSにはその道のプロが大勢いて、あらゆる分野で一流の成績や作品を目の当たりにすることができます。
いつしかそれが日常となり、目が肥えて、二流や三流では満足できなくなるのです。

それで趣味や遊びとして取り組んでいた活動がむなしくなったり、タイムラインに追われて生活が圧迫されたり、不適切な人と交友を持つようになって疲れたり、散財したり、誰かにそそのかされて学校や会社をやめてしまったりした人も少なくありません。


明らかに「手の届かない」目標とは打って変わって、親ガチャという考え方に至ると分相応な振る舞いに落ち着くようになります。

しかし今度は逆に水準を下げすぎる問題があります……

「できていた活動までできなくなってしまう」のは非常に残念です。

極端な思考……0か100でしか物事を考えられない人は苦労します。
学校教育がそれに近いことをやっているのでどうしようもありません。

「やっていいことと悪いことがあるだろう!」というのは不適切な教育です。
実際にはよくも悪くもないことがたくさんあり、一概に判断できないからです。
白黒はっきりしないことのほうが多くないですか???特に大人は。

学校はたしかに有益な知識や必要な思考力を与えてくれますが、それと同じくらい不要なことも植え付けられるので、あまりまともに取り合わないことが大切です。

学校はいつも後手に回っているので、とにかく事実誤認の多いところです。

制度や方針が変わるころにはもう手遅れであることがほとんどです。


「長期的にみて」といって「ただ長生きするだけ」というのは実に奇妙です。


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