2022年6月18日土曜日

「誰が悪いのか」をあいまいにされてしまう

たとえば「店からある商品が盗まれた」という事件が起こると……


・盗んだが悪い

・簡単に盗まれるようなの警備体制が悪い

・窃盗しなければならないほどの困窮に陥らせた社会が悪い


などといって「誰が悪いのか」をあいまいにされることがあります。


それで盗みを犯しても罪にならなかったり、減刑されたり、あるいは逆にその窃盗犯を持ち上げて強い発言権を与えたりする結果にさえなるのです。



「事件」として扱われることによって顔や名前が報じられ、犯罪者として課せられるペナルティー以上の利益を得られる場合すらある………

そのような前例を作れば作るほど、「善良な」人は真面目に生きていることに疑問を感じ、犯罪や犯罪スレスレの行為に手を染める機会を得てしまうのです。


「楽して稼げるなら、他人がどうなろうが知ったこっちゃない」
「自分が盗んだお金を持ち主より上手く運用して財産を増やせば、結果的に社会貢献になるだろう」

とんでもないですね……

いったん味をしめるとエスカレートしていきます。


就職活動からもわかるように、世の中は「だまし・だまされ」で成り立っています。

常に本当のことを正直に話したら仕事はおろか進学もできません。
家族や友達さえも……です。

どこかで見栄を張ったり、ハッタリを言ったり、歯の浮くようなセリフや、心にもない感謝や喜びや敬意を表明したりしなければ、人間社会で生きられません。


嘘をつくことは許されて、盗みを働くことは罪なのか。


私にはどちらも罪としか思えず、生きづらい世の中でさらに生きづらくなっています。

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