もう手遅れかもしれないです。
コンテンツをAIが制作することよりも、読者・視聴者・利用者の立場がAIに代替され、人間はそこから「要約」を受け取るだけになることのほうが問題ではないかというのです。
読んでいる本、見ている映画、遊んでいるゲーム…
AIはそうした事務的・作業的で退屈な活動を人間に代わって行い、短く簡潔にわかりやすくまとめてくれます。
時間をかけて取り組む必要がないので、自由な時間が増えます。
…………
空いた時間に何をするか──
AIによる要約。
「ほんの数行で語り尽くせる着想を何行にもわたって書き連ねるのは狂気の沙汰である」といわれるように、これからも「要約」はトレンドであり続けるでしょう。
3行で伝わる内容を3時間かけて3分間の動画にまとめるのは無駄だし、3分間も動画を見てくれる人はほとんどいません。
コンテンツの制作者は着想をAIに伝えるためにプロンプトを書けばよく、あとはAIが的確に仕上げてくれるのを待てばいい……
しかし問題はそれが「人」の元へ届かず、まずAIに渡されることです。
AIの作ったものをAIが消費する…。
これが健全かどうかを議論する前に、すでにそうなってしまっています。
なのでそれがコンテンツの生産と消費に関する正当な変化といえます。
ユーザーは動機や目的をAIに伝え、AIがコンテンツを制作する。
自分が学んだり経験したりするのはもう時代遅れなのです。
他人に伝える、拡散する、シェアすることのほうがよほど重要とされ、自身の能力や体験などは意に介さなくなるでしょう……。
2026/03/13
コンテンツをAIが解析し、人間はその要約を受け取るだけ…「AIクリエイターよりもAIユーザーだらけになることが懸念される」
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