2026/03/19

「自分でもなれそう」といわれるのは最高の賛辞ではないのか

たとえば「インターネットお絵描きマン」とか「Vtuber」などは、ただ絵を描いてSNSにアップするだけとか、「3DCGがしゃべってる」と思われていて、誰でもできるだろwwwといわれるコンテンツの筆頭です。

誰でもできるうえに生産性がないと追い打ちをかけられます。


彡(゚)(゚)「作画やプログラミングはできないからシナリオライターやります!」

進学も就職も上手くいかなかった人は「ゲームクリエイター」を目指したがるそうですが、比較的裕福な家庭であることが多く、学費を納めてそういう専門学校へ入ってしまいます。
絵も描けない、コードも書けない、作曲もできない、でもシナリオライターならできそう🤗



そういう「誰でもできそう🤪」「自分でもなれそう😎」といって群がってくることについて、本職はどのように捉えているのでしょうか。


なめんな😡


というのは一流ではないでしょう。

「未来の追随者」や「お得意様」と思って寛大に応じるのが一流です。

人手不足の業界が入門者を断り続けたら、自分で自分の首を絞めるだけです。

メモリが不足しているのなら増産を考えるはずですが、そこで「少ないメモリで動作するソフトウェアに移行しよう」とか「少ないメモリで我慢しよう」とすると墓穴を掘ります。
「少ないメモリで動作するソフトウェアを開発しよう」というのはいいのですが。



我慢や妥協が過ぎると、求めるばかりで何も与えられない「無産」になってしまいます。


上下や格差はあまり歓迎されたものではないのですが、少しでも与えられる者は、求め続けるだけの者より偉いのです。

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