宝石だって磨いて加工するまでは単なる石ころと変わりません。
誰かがその希少な鉱物を発見して価値を求めたからこそ宝石になったのです。
しかしその「磨いて加工する」ためには高度な技術と多くの労力を要します。
もちろん発掘するのも大変です。
落ちぶれた人がただ集まっただけではどうにもなりませんが、そこに優れた指導者がいれば……話は別。
こんな話をすると「宗教」のように思われるかもしれませんが、物々交換にせよ労働、雇用、賃金、経済のあらゆる仕組みも発端は同じようなものではないでしょうか?
「自分には価値がない」と思っている人が集まって、「何か価値のある活動」ができればいい。
それを否定してしまうことこそが害悪だと思いますね。
不要品をいかに買わせるかがマーケティングの本質だということを忘れてはいけません。
物ではなく人も同様です。
優れた技能を持っているか、やる気があるか、そういうアピールが必要なのです。
アピールポイントのない人や苦手な人を救わなくてはなりません。
学校にしても職業訓練にしても、出来の悪い人を伸ばすというより「優れた人を選別するだけ」のシステムでしかないので、現状ではとても難しいのですが……。
優生思想では幸せにはなれませんね…
何をどうすることが「価値ある活動」になるのか。
押し売りではなく本当に求められているかどうか。
それを理解していないと状況は一向に改善されません。
まあ需要のない筆頭がこんなことを言っても説得力がないですけどwwwwwww
2022/07/10
需要がないと落胆している人が集まって有意義な活動をすればいい
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿