厳格な論文を書くのでも期待する(される)のでもないのだから、多少のアバウトさは容認されるというか……なんというか……
一般的に「商品レビュー」を見ている人って、内容の正確さや整合性よりも「買おうか迷っているから背中を押してほしい」という意識の強い場合があると思うんですよね。
しかし私は商売が嫌いだし、「営業職」なんてこの世で一番向いていない仕事だと考えているので、商品レビューの内容も「お客さんに買ってもらうため」などとはこれっぽっちも思って書いていません。
商品の欠点や気に入らないところは遠慮なく言うし、科学的におかしいところははっきりと指摘しています。
それが消費者の立場になって考えていることなのだと信じていました。
ところが……どうもそうではないようです。
消費者が本当に求めているのはやはり「背中を押してくれること」。
商品をカートに入れて次へ進むのを迷っているとき、買うのを控えるように「水を差される」よりも、背中を押してくれる人の存在のほうがはるかにありがたいのです。
私にはそれがどうしても詐欺っぽく見えてしまって恐ろしくなるのですが……
きっと考えすぎなんでしょうね。
もし消費者が「本当は買いたくない」と思っているのなら、わざわざ商品レビューを見るはずがありません。比較検討しているときに「消去法」としてレビューを参考にすることはあっても、初めから買う意志のない人がレビューを見るでしょうか?
「買おうか迷っている」から購入の意志を固めるために情報収集をするのです。
そこで水を差すのは詐欺師より悪質といえるかもしれません。
厳密な正解のないものや多少の間違いや不確かな内容のものでも、断定的な口調で話を進めてくれる人は頼りがいがあるでしょう。いちいち細かいことにツッコミを入れると前へ進めなくなってしまいます。
大口を叩いたりハッタリを言ったりギャンブル好きだったりする人のほうが、真面目で忠実で誠実な人よりモテるというのがずっと不思議だったのですが、なるほど……そういうカラクリがあったのか……
ゆたぼんが「人生は冒険やwww」と言うのがわかる気がしてきた。馬鹿の一つ覚えなどではなく真理かもしれない。
むしろ…じゃあなんで?
きちんと整備されたレールの上を歩くだけの人生がいいの?
………
………
こう考えると……いかにクソつまらないかがわかりますね。
クソつまらないものなんか誰も求めていません。
反論の余地がないですよ。
真面目で忠実で誠実な人は始まってすらいなかったのか………
悩んでいる人と一緒に頭を抱えるのではなく、状況を変えるために何か上手いことを言ったほうがいい。
論破王のロジックと基本的に同じです。
逆にいつも上手いことを言う人が沈黙したときには、事の重大さが伝わるというわけです。
しゃべるのも黙るのも有意義なことなんですね。
間違ったらあとから訂正すればいい。
これがなかなかできない人が多いから余計に難しく感じられるのです。
初めから完璧なものを~~~~~って考えると計画そのものが頓挫します。
なぜか試行錯誤やトライアンドエラーができなくなるんですよね……
どうやって失敗せずに成功するというのか……
まずは「寛容さ」を覚えるところから始めましょう。
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