といって外部の情報を参照するのと、
「もう書くことは決まっている」
ことの決定的な違いが視野の広さに現れてくる。
前者は自分で文章を書きながらも常に受動性を保っているため、
書いている最中に気分が変わったり、おかしなことに気づいたりする。
そのためひどく効率が悪い、というか、本来の自分を生かせなくなる。
後者は一方的・自己中心的な心境で書いているため、
自分の文章を誰がどう読むか気にしたり、無駄に意識を高くしたりしない。
書いていて楽しい、充実する、(゚∀゚)ウレ!しいといった感覚を持ちやすい。
常に外部のソース、信頼できる情報源、人目、などを気にしていたのでは
ものすごく神経を使うし、それは単に既存の情報をいじくり回しているだけになり、
特に新しくもないし、物珍しさもないのである。
意外に思われるかもしれないが、
よかれと思って視野を広くしても結果はあまりよくならない。
自分が参考にしようとしている情報はあまりにも多すぎるため、
そもそも役に立たないことがほとんどだからだ。
単なるコピペのほうがいいかもしれないほどである。
コピペの延長にすぎない作業をわざわざ苦労して行う必要はなく、
それに魅力ややりがいを感じるのは間違っているのだ。
本当に大切なことは、コピペや改変などではないはずである。
コピペや改変をいくら頑張っても、そのうち
「こんなこと別に人間がやらなくてもいいよなぁ…」
と感じるようになってしまう。
視野の狭い状態のほうがよほどマシである。
不用意に視野を広げると、知らないほうがいい情報まで得てしまう。
それは広い視野に足をすくわれているようなものである。
これが2014年5月19日月曜日に書かれた記事……7年前にしてはずいぶんまともだねwww
たしかにいろいろ調べながら書こうとすると「別に書かなくてもいいじゃん」ってなる。書かずにリンクだけ参照すれば早い……その最たるものがリツイート。
でもそれでは主体性がなく、頭も使っていないし、情報の真偽を見極めることができず、本当にバカになってしまう……本文を読まずに反射的に拡散させてしまう人すらいるし。
何か問題があっても「リツイートしただけで自分が投稿したわけではないんで~」と都合よく逃げることはできるので、そういうずる賢さは磨かれる。
それでよければいいのだが………はたして?
それでよければいいのだが………はたして?
0 件のコメント:
コメントを投稿