みんなで仲良く衰退して滅びの一途をたどる未来しか見えません。
流れを変えることは不可能に近いでしょうね。
結局、誰かが得をすれば別の誰かが損をしたように感じる構造に問題があるのです。
誰かが不幸になるのなら、全員で不幸になろうとする……
幸か不幸かが実際の境遇ではなく単に「認識の違いによるもの」であるのなら、「脳」を錯覚させることで対処できるのが現実です。
恐ろしい限りです。
そうやって洗脳や支配をされてきた記憶がどこかに残っているのでしょう。
いや、みんな現在進行形でそうなのかもしれません。
現実逃避をしなければやってられない。
現実逃避は悪いことではありません。
生き残るために必要なシステムの一つだからです。
善良な人、温厚な人、真面目な人、愛情深い人ほど生きづらいのです。
それで生きるために豹変してしまう……
私が確信している…いや確信したいのは、「決して誰かが悪いのではない」ということです。
人類全体が少なからず欠陥や不完全さを持っているため、特定の人に責任をなすりつけてはいけない……と考えています。
それで「好きな人」よりも「許せる人」が重要になってくるのです。
どれほど好意を寄せて愛情を注いでいる相手がいても、その人の間違いや失敗を「許せない」としたらどうですか?
………
いかにも一方的で「歪んだ愛」という感じですよね。
相手に対して完全性や百点満点を要求するのは本当にヤバい人です。
仕事上のミス、試験の間違い、不適切な態度や振る舞いなど、誰にでもある問題を受け入れられない人というのは、問題そのものよりもまずいのです。
完全性を求めて神仏や超自然的存在にすがろうとする人の心理がよくわかります。
なぜ宗教がなくならないのかもよくわかるでしょう。
科学や論理だけではどうにもならないのです……
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