どんなにテクノロジーが発達して生活に溶け込んだとしても、また別の方面での努力や才能が問われるようになるだけだから、ただ身を任せていればいいという結論にはなりません。
責任の所在が問題になってくるわけですよ。
たとえAIの判断が正しくて妥当であったとしても、AIやAIの作者に責任を求めることなんてできないですよね。
思考力や制作の水準がますます高くなり、テクノロジーを「使いこなす」ための努力と才能は依然として…いや、もっと必要になります。
コンピューターが普及したことでデスクワークは「楽」になりましたか…?
作業が素早く正確にこなせるようになったのに、1日の勤務時間は昔と変わっていない会社がほとんどです。
できたらできたで仕事の量が増えるだけ。
かつて8時間かかっていた仕事を15分で片づけられるようになったからといって、15分で帰ってしまう人は首を切られるでしょう。
残り7時間45分でできる別の仕事に取り組まないとやっていけないわけです。
AIにできる仕事はAIに任せて、人間は違う仕事をしなければならなくなる。
ほんとですよwwwwwwwww
「人間は一切働かなくていい」なんてことには絶対ならない。
……
資産家にとっては、大衆が過度に賢くなるのは都合が悪いものです。
なのであえて「賢くなったつもり」になるようなコンテンツを勧めるというか、端的にいえば馬鹿にならせるようにする。
2025/05/28
知能の格差がなくなった場合、努力や才能の格差はかえって大きくなる
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