2025/05/28

知能の格差がなくなった場合、努力や才能の格差はかえって大きくなる

どんなにテクノロジーが発達して生活に溶け込んだとしても、また別の方面での努力や才能が問われるようになるだけだから、ただ身を任せていればいいという結論にはなりません。

責任の所在が問題になってくるわけですよ。

たとえAIの判断が正しくて妥当であったとしても、AIやAIの作者に責任を求めることなんてできないですよね。


思考力や制作の水準がますます高くなり、テクノロジーを「使いこなす」ための努力と才能は依然として…いや、もっと必要になります。

コンピューターが普及したことでデスクワークは「楽」になりましたか…?

作業が素早く正確にこなせるようになったのに、1日の勤務時間は昔と変わっていない会社がほとんどです。

できたらできたで仕事の量が増えるだけ。


かつて8時間かかっていた仕事を15分で片づけられるようになったからといって、15分で帰ってしまう人は首を切られるでしょう。


残り7時間45分でできる別の仕事に取り組まないとやっていけないわけです。

AIにできる仕事はAIに任せて、人間は違う仕事をしなければならなくなる。

ほんとですよwwwwwwwww

「人間は一切働かなくていい」なんてことには絶対ならない。

……

資産家にとっては、大衆が過度に賢くなるのは都合が悪いものです。

なのであえて「賢くなったつもり」になるようなコンテンツを勧めるというか、端的にいえば馬鹿にならせるようにする。


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