2025/05/20

真偽不明の物事は疑う…確信を得るまで信じない…しかしもう手遅れかもしれない

「好きになるのに理由なんてない」とはよくいわれますが、信じるときもそれと同じように「理由なく」信用し、「嫌いになるのには明確な理由がある」ともいわれるように、疑うときには理由がある──。

いつも冷静でいるのはいいとしましょう。


しかし真偽を確かめる際、どんな手順を踏んでいますか?


落ち着いて考えて、それでもよくわからなかったら…?

ネット検索やAIチャットに質問しますか?


友達やSNSから情報を集めたり尋ねたり、テレビのニュースを見たりしても、その「情報源」がそもそもネット検索やAIチャット由来の真偽不明の内容かもしれないし、非常に巧妙な生成画像やフェイク動画に釣られて「真実だ」と集団で信じ込んでいる可能性もあります。

…つまり「デマ」が問題となってくるわけですが、情報伝達手段が十分に発達していなかった大昔にもそれは起きており、この点で人間は歴史を通じて学習も適応もほとんどできていなく、容易にだまされてしまうことが実証されています。

中世の「魔女狩り」や「ペストとユダヤ人の迫害」などは歴史に残るデマが原因となった大事件です。


現代では、かつては信頼性の高かった公的な情報源よりも、身近な人やSNSのフォーラムを受け入れる傾向があり、「エコーチェンバー」という共通意識や同一の好みを持つ集団のなかで異論が排除され、誤った情報が事実として定着しやすい問題があります。

フェイクニュースの巧妙化とクオリティーの向上がめざましく、それを拡散することに快感を覚えるユーザーも多いことから、SNSの存在はデマを防ぐよりも広めることに寄与してしまっているのが現状です。

SNSは事実でなくても注目度の高い投稿を優先的に表示するアルゴリズムを採用しているため、プラットフォームそのものがデマの温床といっても過言ではありません。


悪い条件ばかりですが、普段から感情的になることを抑えるだけでも、誤った情報の取得や拡散を予防できます。


しかしもう手遅れかもしれません。


自称専門家、それっぽいジャーナリスト、一言居士で成り上がったインフルエンサーたちが幅を利かせるSNSにはまともな審判が存在せず、もっともらしいソースの引用と目を引くサムネイル画像を投稿するだけで大衆が欺かれることがもはや茶飯事となっているからです。

間違った情報同士で衝突が起こっても、「レスバ」は引き下がったら負けという思いから意地の張り合いが続き、問題の長期化が懸念されます。

結局のところ人と人が対立し、それがおおごとになると国家と国家の敵対……つまり戦争が起こるというわけです。

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