「ゆとり世代」よりも本格的にスポーツの概念を潰そうとしている小学校があるらしいですね…
もはや「勝ち負け」や「結果」を他人と競い合うことを否定しているのでしょう。
「弱者への配慮」といえばどんな案でも通ってしまう。
配慮などという無敵の理論で武装されたらそれこそ反則のような気がするのですが、それは言ってはいけないみたいです。
貧富をはじめとする優劣、強弱、頭脳や容姿などの「格差」を根本的に解消しようとするなら、競技や戦いをやめる方向へ働きかけるしかありません。
「神は地の果てに至るまで戦いをやめさせておられる」そうですが、まさかそれを学童教育の運動会で実行されるとは……
しかし努力や競争による結果や評価といった経験を避けるとなると、ますます人生は「初期ステ」と「ガチャ」で決まる運ゲーということにならないでしょうか?
もしかしてそれが狙い?
生まれてから死ぬまで「立場をわきまえて」つつましく大人しく扱いやすい人間を量産する目的があるのか…?
「飴と鞭」の飴ではなく、食事を何も与えないような感じです。
そうやって幼少のころから身も心も弱らせれば、従順な奴隷を作るのが容易になる……
暴力や恐怖による支配ではなく、自発的に従わせるのにはうってつけなのか。
教育ってそういうものだったのかな……
2024/05/28
勝ち負けから離れ、競技性をなくし、戦いをやめ、初期ステとランダムイベントで決まる運ゲーに…
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