「絵の練習には意味がない」──いや、正確には私は意味がなかったと痛感している記事でも書いていますが、練習を言い訳にしているというか、練習という「過程」をアピールするのが目的となっている絵描きはとても多く、それ目当ての教本すらも出回っているのが現実です。
練習ということにしておけば雑でも未熟でも許されるから、絵を完成させる技術が身につきません。
だから「ラフスケッチ」や「クロッキー」の見栄えをよくするだけの指南があふれているわけです。
とにかく過程を重視する……。
絵描きに限らず多くの業種がそうなっています。
口先だけで実体のない仕事が多すぎるんですよ;;
いかに多額の予算を引き出すための口実を作るかが目的になってしまっている。
そういうのが「自動化」されたら困る人が大騒ぎしているわけです。
結果は不問なんてことを前提にするから「消費されるだけのコンテンツ」に成り下がってしまうのです。
模写でもいい、パロディーでもいい、下手くそでもいい。
とにかく一つの絵を完成させましょう。
それすらできない(しない)人が本当に多いからです。
絵を仕上げることができるかどうかが絵描きのすべてです。
技術や人気はあとからついてきます。
いつまでも「練習」や「落書き」といって予防線を張るくらいなら、別の活動に興じたほうが充実しますよ。
コスパやタイパのいい娯楽はほかにいくらでもあるのに、わざわざ絵描きを選ぶのが不思議です……
私は貴重な学生時代、真剣に取り組まずにラフスケッチばかりを描くミスを犯しましたが、冷静に考えるとあながち間違いでもありませんでした。
たまたま見かけたゲームやアニメの「設定資料」に掲載されているラフ画に感銘を受け、あろうことかそれを忠実に模倣したのです。
少なくともその時点で私には素質があった───優れているという意味ではなく、自分の中で、ほかの科目よりはマシだったという意味で───のは事実。
ところが仲のよかった友人たちは、初めから自分らしさを出そうとして失敗しました。
絵描きに重要なのはオリジナリティーを追究することではありません。
まず、まともに描けるようになるまでは観察対象を忠実に模写することが大切です。
……私はそれだけが得意でした。
キャラクターとして似せるのではなく、見ている作品そのものを写し取る。
そこからラフスケッチの様式というか「くせ」をつかみ、とりあえずラフスケッチだけは上達しました。
安心してください。
本当に絵心のない人はラフスケッチすら描けないものですよ。
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