自分の作った世界であればともかく、既存のプラットフォームで活動する場合はその取り決めに従わなくてはなりません。
YouTuberはいうまでもなく「YouTube」という既存のプラットフォーム上に展開されているため、それを管理しているGoogleの制約を受けます。
人というのは不思議なもので、ふとしたことで有名になると「全能感」に目覚めて判断を誤り、見境なく挑発したり攻撃的になったりする傾向があります。
そして度が過ぎるパフォーマンスによりペナルティを課せられ、立場を失ってもなお改心せず、「毒を食らわば皿まで」というケースも珍しくありません。
「革命」を掲げながら既存のプラットフォームで活動するのは奇妙なことです。
それは本気ではなくネタでやっているか、単なる集客か、あるいは正常な判断力を失っているのでしょう。
本気で革命を起こすのならすべてを作り直さなければならないため、使い古された手段の行使や既成品をいじくり回している場合ではないはずです。
それで実現できるものは既存の社会の延長に過ぎず、革命家の名折れというしかありません。
ここからわかるのは「中途半端な改革をするくらいなら従順のほうがマシ」ということです。
物事をほんの少し変えるだけでも多大な労力と準備が必要だからです。
しかし…しかし………
そうやってずっと変革を避け続け、前例主義と現状維持と自己保身に徹してきたツケが回ってきています。
回収が見込める分野にしか投資をせず、新規の研究に消極的で、技術者が軽視され、みな平等で誰も損をしないかと思いきや弱者がいつも割を食っている現状。
格差は広がるばかりで、背伸びをしても前は見えず、足元すらおぼつかない。
研究、教育、学習、技能の習得にかかる費用を「無駄」と考えている人は多いです。
それとは対照的に教育に熱心な人は、高校も大学も「無料」で通えるべきだと言います。
どちらも極端すぎます。
すべての高校と大学にかかる費用を「無料」にすると、それを捻出するために税金が跳ね上がります。
「教育はただで受けられるべきだ」と言いますが、教育者がタダ働きになれば確実に教育の質が下がります。
学校施設の維持もできなくなり、すぐに廃墟になってしまうでしょう。
「子の教育というのは本来、親がするものなのでは?」という意見もあります。
そう……
「誰かがやってくれる」という考えが根底にあるのです。
親が自分の子に対する教育を「学校に丸投げ」してしまうのは、大企業が仕事を「下請けに丸投げ」するのとほとんど同じです。
責任を負うことを「リスク」としか捉えられない現状に問題があります。
これはもう本能的に避けているとしか考えられません。
ある意味、自然なことなのかも……
既存のプラットフォームから
たまには降りる必要があるのかもしれないですね。
たまには降りる必要があるのかもしれないですね。
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