いつまでたってもラフスケッチやクロッキー、ネーム、アタリ、プロットに没頭して作品を完成させることができなくなる──。
初歩的で基礎を学べると思っている人が手に取りやすい教本ってだいたい決まってるんですよね……
・スケッチ
・クロッキー
・デッサン
・鉛筆画
カラーイラストには絶対に手を出さないばかりか、太い鉛筆を好み、清書やペン入れの段階まで進まないのが特徴です。
……
絵画というのはその「先」へ進むことが一番重要だといっても過言ではありません。
かくいう私も中学生のころはマール社のやさしい人物画ややさしい顔と手の描き方という本に夢中になり、デッサンばかり描く日々を送っていたんですよ。
話が長くなるので結論から述べますが、、、、、
それで学んだことは今まったく生かされていません。
モチーフの観察力や知識を会得し、絵描き同志の苦難や喜びを共有することにはなりましたが、私がいま描いているイラストにはまったくといっていいほど反映されていないのです。
無意味というより、かえって上達の妨げになっていた。
どういうことかというと…
権威ある教本を持っていることで妙な安心感が生まれ、それ以上のことをしない──つまり先へ進もうとしない──ようになってしまったからです。
あのA4用紙に何千枚と描いたデッサンやクロッキーはなんだったのかwww
私は当時の「作品」をすべて保管し、定期的に眺めてはまた描く毎日を過ごしていました。
ところがある日…
部屋を片付けるために何千枚ものデッサンがついに邪魔になりました。
思い切って全部処分しました。
部屋から外へ運び出すのを家族に手伝ってもらう必要があるほど大量でした。
上質なA4用紙に、デッサンという名の落書き。
大量の紙はリサイクルステーションで適切に処理されました。
それからです。
鉛筆画やラフなスケッチではなく、きれいな1本の線で描くことの重要性に気づいたのは。
お絵描きチャットの小さなキャンバスに絵を描くには、そういう繊細な描画テクニックが不可欠だからです。
その反動で、今に至るまで鉛筆画を一切描いていないほど極端な変わりようです。
本当に「線」は重要です!
デッサンや鉛筆画にしか取り組まないのは、線画の重要性に気づかなくなってしまうほどの悪影響があるのかもしれません。
デッサンや鉛筆画が悪いのではありません。
それしか描かないでいることが悪いのです。
手段であって目的ではないのだから…!
何千枚も描いたデッサンに「実は意味がなかった」なんて……
素直に受け入れられる人がどれだけいるでしょうか!
バカにされたと思ってさらにデッサンに没頭するかもしれません。
私だって受け入れがたかったですよ。
中学を卒業してから、あの山のようなデッサンを描くのに何年も費やしたんだから……
めちゃくちゃ苦労したし、人に見せると感心してもらえたけど、やがて親しい友人すら反応が鈍くなり、ついには縁が切れました……。
だってね……アタリを残したままの落書きをいくら見せられてもねぇ。
仕上げようよ。
完成させようよ。
なぜそうしないんだい?
デッサンや鉛筆画から先へ進む意志がまったくなかったんですね。
それこそが上達の妨げだったんです。
何かと「極端」になりやすいのが私ですが、だからこそ私の経験はとてもわかりやすい。
上達する・しないの以前に、きちんと絵を完成させなければだめなんです。
逆にいえばデッサンの練習に専念するよりも、完成品を目指して描き続けたほうが結果的には近道。
もし、あのころのままだったら…
マビノギのお絵描きチャットの筆をとっくに折っていたと思うよ……
きれいな線を引くことは死活問題なんです。
2024/02/04
デッサンや鉛筆画から先へ進む意志がなければ絵は上手くならないと思う
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