できる限り「想定外といわない」ようにするため、あらゆる可能性を想定しておくのが私なりの工夫…。
支援を行う人が多くなればなるほど、一人一人が持つ目的や意識の微妙な違いが大きくなり、同志の間で摩擦が起きるようになる──。
これはすでに起こり始めている…
たとえば“アーティスト”が歌や絵画を支援と表明しているのに対して、否定する意見がかなり多く上がっています。
これは「意識の違い」が起きていることを意味しているのです。
否定派の主な意見は、
・災害を自分のアピールの場に利用している
・必要なものは娯楽よりも救援物資だ
・そんなものは現地へは届かない
という具合です。
なるほど。たしかにその可能性は否定できない、と思われるでしょう。
そして、その理由をもって自粛や変更を求めるのも無理もない、と思われるでしょう。
だから意見が分かたれるのです。
いいですか。よく考えてください。
「支援を行おう」という意志を持つ人に対して、
別の人が
「それは支援ではない」
と判断しているのですよ。
その判断をした人もまた、独自の勝手な判断に過ぎないのではありませんか?
鏡を見て自分自身の姿を問うべきです。
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