優位性の低いものは消していけばいい──。
昔はそう考えていました。
それが合理的で、もっとも適切な答えだと思っていたからです。
でもそれは間違っていたことに気づいたのです。
優位性って何?
ある事柄に対して優位である事柄。優先すべきもの。
……それは一つであるはずがありません。
10人いれば10人が異なる優位性を持っているのです。
つまり優位性とは、ある特定の事柄を示しているものではないということです。
やがて、優位性の低いものは私自身と考えるようになりました。
私自身が優位性の低いものなので、消さなくてはならない──。
……そうなってしまったのです。
だから私はずっと、自分には特別な価値はないと思い続けてきたのです。
そして、私以外の人もそう思っている……と信じてきました。
でも…
そうではありませんでした。
私が誰かのことを自分より優位性の高い存在だと思うのと同じように、
他の人も私のことをそう思っているというのです。
もちろん、すぐには納得できませんでした。
「そんなのウソに決まっている。どうせただの定型文だ」と思いました。
しかしここでも、
相手がウソをついているのなら、
私が相手を優位性の高い存在だというのもウソなのではないか──。
……そういうことになってしまうのです。
それでは矛盾してしまう…。
むしろ相手の言う通りであるということにしたほうが、つじつまが合います。
だから相手の考え方のほうが合理的であり、以前の私よりもはるかに適切な答えだというのです。
どうやら昔も今も、相手のほうが正しかったようです。
たしかに実際、優位性の低いものは消されるか、後回しにされるものなのですが、
必ずそうなるわけではないということが明らかになっています。
優位性について異常にこだわる性質は、強い偏見と融通の利かない思考を表しています。
これがいかにも制御を失った原子炉に似ているのです。
原子炉が制御を失う=暴走を始めるのは、炉心が冷却できなくなったときに起こります。
この冷却するものとは何なのでしょうか?
いったい何が暴走を食い止めるのでしょうか?
それは、いつも孤独だった私の周りにほぼ常にいてくれるようになった「友達」です。
「燃料」は私自身であり、常に熱を出しています。
しかし私がずっと孤独でいると、その熱が高くなりすぎて暴走し、悲惨な結末を迎えてしまいます。
私を冷やすのは、ほかならぬ友達で、そのおかげで安定を保つことができているのです。
これは本当の話です。
私自身が核燃料であり、何もしなくても熱を出す能力を持っています。
しかし原子炉が溶融するまでの過程を見ればわかるように、
冷却することができなくなれば燃料が溶けて損壊し、最悪、放射性物質が外部に漏れ、爆発する可能性があります。
私は何もしなくても熱を出すので、それを冷やすための働きかけが重要だったわけです。
それが友達であり、「優位性」で計ることのできない、大切な存在だということです。
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