バナナだと思っていたものはパイナップルでした🍍
人類が地球に誕生したときには言葉や文字を利用していなかったといわれていますね。
それから何千年も経過して意味のある言葉を話し始め、やがてコミュニケーション手段の一つになっていった…………かどうかは誰にもわかりません。
さて、人類が言葉を用いると、自分が直接経験していない事象を他人から伝聞することができるようになります。
どうやらこれが人間の基本的な記憶力を低下させる原因らしいのです。
見てもいないのに知ったようなつもりになってしまう。
さらに文字や図を何かに書き留めることを覚えます。
保存された情報を誰でも参照できるようになると、あえてそれを各自の脳に記憶しておく必要性が薄れてきます。
現代では「辞書」や「参考書」の中身を丸暗記しなくてもいいということです。
ググればいい。
これに尽きます。
いや、尽きることはないのですが……それで済むに越したことはないのが現状です。
・経験する必要はない。
・覚える必要はない。
・考える必要はない。
・計算する必要はない。
膨大なデータベースを探すなり「こじつける」なりすれば必要としているものが出てくるので、もはや何もしなくても満たされるように……なる……のか…?
「探す」努力すら必要ない。
検索して見つからなければ「そんなもの初めからなかった」と悟る。
検索はコンピューターの仕事で、人はただその命令を出すだけ。
さて…
ここまで読んで納得した人はまずいないと思います。
納得どころか明らかにおかしいでしょう。
また話を大昔に戻しましょう。
「地図」のなかった時代に遠征すると、地形を正確に記憶している人しか無事に帰ってくることはできませんでした。
記憶力や空間認識能力や土地勘や体力のある人だけが必然的に生き残るようになっていたのです。
しかし正確な地図やGPSを利用することによって誰でも迷わず目的地へたどり着けるようになりました。
それで旅は安全になり、交通が発達し、生活が豊かになっていったのは事実です。
……が、その反面、地図なしでは道がわからない人が増えました。
道を覚えられない人のために、親切な道案内や詳細な地図が展開されています。
それはそれで需要と供給を満たす立派な産業です。
人の記憶より正確で便利な地図を活用することのほうが、命がけで外出することよりも賢明で文化的でしょう。
記憶力と引き換えに得られたもののほうが大きい、ともいえるわけです。
メモ、写真、ボイスレコーダーなど、人間の記憶力に頼らずに情報を保存して伝達できるのも「進化」の一種と考えられます。
妄想かもしれないけどね……
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