大きな矛盾に気がついたぞ……
めんどくさがり屋ほど一度に多くのことをやろうとして失敗する。
本当にめんどくさいのなら作業を中断するなり延期するなり分割するなりして負担を減らすはずなのに、
全部まとめて終わらせようとする……自分の限界も知らずに……
大量の作業を一気に短時間で効率よく終わらせると、また同じ処理を要求されるようになる。
作業が目的になってしまうところが最大の問題。
「終わらせるから新たな作業が始まる」という本末転倒な事態が起こっているのだ。
しかも前回より多くなる。
要領が悪くてサボりぐせのある人がマイペースに進めることのほうが健全ではないか?
どんなに作業を早く終わらせることができたとしても、それが他人からの評価を目的としているものであれば、
必ず自分自身を充実させたり満足させたりする結果になるとは限らない。
他者からの評価や報酬や名声と引き換えに、身を削るような作業をこなす。
何度も何度も繰り返される……
それで精神に異常をきたした人がどれほどいるのやら。
仕事でもゲームでも変わらない。
はかどりが悪くてブツブツ言いながらも一進一退している人のほうがまともに見える。
効率や節約や省力化を求めると最終的に死ぬしかなくなるからだ。
「生まれてこないことが一番コスパがよい」という結論に達してしまう。
そんなに極端な人は決して多くはないが、働き詰めで精神が追い詰められると、
ふとした瞬間にそうした考えが脳裏をよぎり、実行してしまうことがある。
食事もめんどくさい、睡眠もめんどくさい、仕事もめんどくさい、ゲームもめんどくさい、
友達もめんどくさい、家族もめんどくさい、将来を考えるのもめんどくさい……
いろいろな活動を面倒だと感じる人は効率化や「時短」などをどうしても考えてしまう。
そしてそれを声高に叫び、啓蒙しようとする。
そもそも「面倒だ」と感じている作業に向き合う(向き合わせる)こと自体が不自然なのである。
「ちょっとやってみるか」という感覚で臨むのとは大違いだ。
お絵描きを趣味だというと、すぐ漫画家やイラストレーターといったプロの仕事に結びつける人がいるが、
ちょうどそれと同じような極端な考え方である。
キャッチボールの経験だけでプロ野球選手を目指す人などいないだろう。
なんでもかんでも仕事や実用性や利益につなげようとするのはよくない。
もっと楽に構えればいいのに。
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