わからないことがあったら調べる前に、
まず自分の持っている知識や経験から探ってみよう。
ネットで検索するくせをつけると、ついつい余計な情報まで目にしてしまい、
不用意に視野が広がり、本来の目的から外れやすくなるからだ。
どうしても行き詰まったら検索すればいい。
このところ個人的に気になっている「追体験」の弊害を避けるうえでも
それは有効であると思われる。
自分の経験より他人の経験を再現することが主題になってしまっては、
何をやるにも他人任せで、実質的に自分はただの傍観者になる。
情報が右から左へ流れているだけ、
いや、その情報の橋渡しになっているようなものか。
コンピューターでいうなら、ただの通信ケーブルである。
それ自体は何の演算機能や記憶領域も持たない。
なんでもネットで検索するというのは、ちょうどそのようなものなのであろう。
検索したい意思はあっても、ただサーチエンジンに「接続」するだけで、
そこから得られる情報をただ通過させているにすぎない。
それで「おれ頭よすぎwww」とか「全能感」のようなものを覚え、
いわゆるネット弁慶に陥ってしまうのだ。
情報を見たり聞いたりするだけで自分の財産になることはありえない。
種をまいただけで作物は育つわけではないし、収穫できるわけでもないからだ。
なんでもかんでも検索検索ぅ~~~というのは、
自分という限られたスペースにひたすら種をまき続けるようなもので、
ろくに土を耕してもいないし、日照や水やりも管理されておらず、
作物の相性も考慮せず、めちゃくちゃに芽を出させるのと同じである。
そんなことをしても、まともに収穫できるものはほとんどないだろう。
繰り返せば土壌が弱り、二度と栽培ができなくなるかもしれない。
すでに十分すぎる量の「種」を手に入れているはずだから、
次にするべきことは、それを適切に育てることである。
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