2014年5月17日土曜日

追体験の深刻な弊害

追体験とは簡潔にいえば、
他人の体験を自分の体験ととらえること。

たとえば人の作文、ブログ、レビュー、批評、感想、ゲームのプレイ動画などがあります。
それらを読んだり聞いたりし、他人の体験を自分の体験として再現する。

詳細なレビューやリアルなプレイ動画を試聴すると、
自分はその物事に手をつけていないのに、あたかも体験したかのような感覚に陥る。

この現象が知らず知らずのうちに浸透してしまっている……

交通事故や戦争、震災、不況といった情報をニュースなどで間接的に見るだけでも、
自分が実際にその場にいるような感覚になり、身構えたり、恐怖におののいたり、
無意識のうちに「ああ自分もこんな危険にさらされているんだ」と感じたりし、
何の根拠もないのに「もうだめだな」と絶望に駆られる場合があるのはそういうことなのだろう…


きわめて痛い話です。


耳が痛いとかそんなレベルじゃなくて、
(;´∀`)・・・うわぁ・・・ってなる痛さです。
ヽ(´Д`;)ノアゥア...

マビでいうと、「細工や重課金者やガチプレイヤーはヤバイ」といった話を
ほとんどの場合は間接的にしか見聞きしていないのに、
自分も実際にその「ヤバイ」状況を経験し、まるで「被害」に遭ったかのような
錯覚を起こしているようなもの。

口頭伝承と現実は違うことが多いんですよね。
「~といわれています」
「~だから~です」
こんなふうにセンセーショナルな言い方をされるとついつい信用してしまう。

これには反論もあって、
「事前に注意を促しておくことは重要」
「用心するに越したことはない」
ともいいます。

しかし用心が過ぎるとマッチに火をつけることもできなくなるし、
洗濯機だって感電するかもしれないから触れなくなるし、
隕石が落ちてくるかもしれないから外出することもできなくなる。
病気がうつると嫌だから人に触ることもできないしキスなんてできない。
詐欺に遭うかもしれないから人と話すことも嫌だし電話も出られない。
情報を盗まれるかもしれないからPCをネットにつなぐこともできない。

もちろん実際に落雷で死ぬ人や詐欺師は存在する。
しかしそんな他人の体験をことごとく自分に当てはめてどうする!?

それが「宝くじに当たった」という話だったら、たぶんうかつに信用しないのではないかな。
普通に考えて鵜呑みはしないだろうし、むしろ疑ってかかりますよね。

おいしい話は警戒するのに、危険や注意を促す話はあっさり信用してしまう……

これもその危険な話がリアルで現実味があり、具体的な「体験」に基いて語られるから。
それを聞いた人は「追体験」によって自分の体験としてしまう。


その積み重ねが人を臆病にし、不安にさせ、行動を制限してしまうのでしょう。


ゲームの感想や日記にしても、あまり具体的すぎる内容にするのは、
読者を追体験によってミスリードすることになりかねないですね。
勘違いしている人は自分が勘違いしていることに気づいていないんですよ。

数学や統計や観測に基づく情報は「真実」かもしれないけど、
真実だからといって人に伝えてもいいと思ったら大間違い。

往々にしてネタバレが嫌われるのはそのため。
人には自分の力で攻略し、自分の目で確かめたい真実もあるのに、
それを他人にバラされてしまうと強いストレスになる。


とはいえ狭小になって何も書けなくなるのも問題です。
出すところと引っ込めるところの加減が大切ですね。

(´~`)モグモグしたらヽ( ・∀・)ノ●ウンコーも出ますからね。

一方的に(´~`)モグモグしたら(゚∀゚)シヌ!し、
ひたすらヽ( ・∀・)ノ●ウンコーするのも(゚∀゚)シヌ!

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