「現実がだめなら、ゲームがある」
私は当初からそう考えて、現実では困難か不可能に近い「交流」を
ゲームの中で再現すれば、上手くいくものだと思っていました。
そして実際に上手くいっているように感じられました。
しかし……それはほんの一部だったのです……
そもそも交流の場である「ゲーム」は私のものではなく
第三者から提供されているにすぎないということと、
当然、私の筋書き通りには物事は進まないということと、
もう一つ盲点だったのは、
現実では決してありえない犯罪、アカウントの乗っ取り、
本人のなりすましが起きる可能性があるということ。
「ゲームの世界なら上手くいく」というのはもはや幻想……
私の計画は振り出しに戻ってしまいました。
ともすればゲームは良い部分にばかり注目し、問題点を軽視しがちなのですが、
なんでもプラス思考に、良い方向へと考えることが裏目に出ているのです。
実際のところ……私自身、ゲームに限界を感じ始めています…。
思いのほか上手くいくことはなく、
常に「現実にはない、ゲーム特有の問題」と戦い続ける毎日です。
…そうなのです。
現実から離れれば万事解決というわけでは決してなく、
ゲームにはゲームの困難があって、それに対処しなければならない…。
現実であれば好みや性格の変化はあっても、
「人」そのものが他者と入れ替わることは絶対にありません。
ゲームの世界では、そんな望んでいないことの起きる可能性があるのです。
そうなったとき、またそうなることを恐れながらゲームをするとき、
現実とゲームのどちらがいいのか?
ということを考えてみてください。
……
なるほど……
「誰にせよゲームの中だけの付き合いにしておけばいい」と思っていましたが、
そのゲームが危機を迎えた場合、どうすることもできなくなってしまうのです。
もしかすると、ゲームで交流するだけでは飽き足らず、
現実で会いたいと思うようになる人というのは、
ゲームも安全ではなく、良い関係に亀裂を生じさせる可能性のあることを
察知しているのかもしれません。
友情や愛情の欲求が「本能」であり、さらに真剣に考えている人ならば、
それはごく自然のこと…。
つまり…
現実で会おうとするのは、危険なことであるとは断言できず、
むしろより安全な関係を築き、保っていこうとする気持ちの表れ
なのかもしれないのです。
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