彡(^)(^)「はぇ~
一瞬感心してしまったわwww
「食事とは大便を買うこと」という認識なんですね……
たしかに…どんなに素敵な料理を食べても最終的にヽ( ・∀・)ノ●ウンコーになる…
でもヽ( ・∀・)ノ●ウンコーの内訳は食事の残りカスよりも
死んだ細菌や腸壁の細胞がほとんどだっていうじゃん???
もし食事がそのまま排泄されているとしたら…
かなり深刻な消化器系の障害が起こっているはずです…
本当は食事という行為が無駄なのではなく、
食事に要する時間を有効に使いたいという意味なんじゃないかな??
ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…
時間あたりの摂取カロリー
なんかを計算しなければならないほど忙しいのか……
効率よく痩せるために消費カロリーを試算しまくる人はいるけど、
摂取まで時間短縮するとは……
まあ是非は置いておいて、時間を有効活用するためにそういう手段もあるということなんですね。
私が思うのは……
人類はあたかも生物の進化の「最終形態」であるかのような共通認識を持っていますが、
それは単なる思考停止で、
実際には体質の変化や適応が今も発生しているのではないか?ということです。
だって現代の人間とその社会が完成型で非の打ち所がないものだとしたら、
あまりにも不具合が多すぎるので矛盾だらけになってしまいます。
よくも悪くも人間の進化や成長や適応はまだ止まっていないと考えたほうが妥当なのです。
退化は進化の一種である
というところがポイントです。
たとえばヘビの足は「退化」により失われたとみなすことができますが、
足がないからこそ縦横無尽に動く能力を進化させたともいえるからです。
ヘビの足が失われたことを考える場合、「退化」という言葉は適切ではありません。
立派な「進化」といえるでしょう。
なぜならヘビは足がないことで少しも不自由していないように見えるからです。
ヘビの体の構造は完成されたもののように思われる。
一方、人が運動不足によって体力が低下したり肥満になったりして不利な状況に陥るのは、
「退化」よりも身体機能の「衰退」といったほうが適切です。
食事を効率的な完全栄養食のみで済ませるライフスタイルが続けば、
味覚やあごの力などは「必須ではない」ために衰退していく可能性があります。
その代わり、より自由な時間を得ることができるということ……
ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…
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