2019年7月23日火曜日

学歴をそう捉えていいのなら少し救われる

数学にせよプログラミングにせよ
論理論理的
というのが何なのかがいまいちよくわからない。

幼少期から私のことはよく「理屈っぽい」「頭が固い」といわれていましたが、
たぶん違う。

ほとんど思いつきや思い込みや直感で考えたり話したりしているだけなので、
論理とは対照的といってもいいはずです。

とにかく冷静を装って、周りに流されない、ブームに飛びつかないなどと意識していましたが、
もうその体裁がすでに論理からかけ離れていますよね。


ある記事の中に非常に興味深いことが書かれていて……

高学歴というのは学位を持っていることではなく自分の好きなことを学び続けること。

だというのです。

いやそれは違うよ…低学歴の言い訳にしか聞こえないよ…と最初は思っていました。
普通の認識では学位や卒業証書こそがその人の学歴を示す決定的なものであり、
現在進行系で勉強や研究に没頭していることを「高学歴」とは呼ばないのではないか……

でもどうもその認識がずれているみたいなんですよね。


まず、人は何のために大学へ進むのか??
多くは就職です。

そして企業や職場の人事が選考する際に学歴を見るわけですが………
見ているところが的外れにも等しいものらしいんですね???

大学で学んだことや成績についてではなくボランティアの経験などが評価され、
評価を得るために積極的にボランティアを行うという本末転倒な状況になってしまっているのだとか。

ネタではなく本当にそうなのか…?

企業や職場、つまり経営者側が論理ではなく根性や精神で採用してしまうため、
学歴の本質が評価されていないというか、形骸化している?

私には知る由もありません……


就職が目的の「高学歴」と、真の「高学歴」は別物ということ?


学び続けているから高学歴なんだ(キリッ

実際にこんなことを言ったら嘲笑の的になるだけで低学歴よりも哀れなやつだと思われるでしょう。

………………

………………

こういう認識が間違っているのか……


高い学位を得ただけで勉強しない人と、独学で延々と学んでいる人を比べても、
現実社会で後者が有利になるとは到底考えられないのですが……

だからこういう認識が間違っているのか????

間違っているというか、論理的な判断ではないってこと?


「嘲笑の的」や「哀れなやつ」というのはデータに基づいたものではなく、
自分の印象や感覚、経験による判断に過ぎない……?



ずいぶん前からさんざん言われているのは、
経営者が現場を知らない
ということです。

下請けに丸投げして、現場の状況や要領をまったく理解していない経営者が多いと。
論理的思考能力が欠けていて、分析をせず、データを取って考えることができなくなっている。
それで協調性やチームワークといった精神論にいつまでも頼ることになってしまう。

もやもやしたものをずっと感じているのは、論理的ではないか、奇妙な理念が多いからか……


上の記事を読んでいても、不思議と意識高い系とは感じません。
なんだろう……明らかに意識高い系の自己啓発書とは違う……
途中で「くっさw」となって閉じてしまうことが多いのに、しっかり読むことができた。

たぶん「データに基づいている」というのが重要なんでしょうね。
それとは対照的に「試算www」はおそらく主観だけでまったく論理的ではないwww


なんかこう……
「客観的に自分を考えられるオレかっけー」という思いっきり主観的な矛盾を含んだ自己啓発書と違って、
きちんと論理的に考えられると説得力があるね。

しかし論理を理解するには受け止める側も論理的である必要がある……
とにかく大きな声で威嚇すればいいと思っているようなやつは論理的ではなく、
「アフリカの大草原で暮らしていたとき」のような本能でしかない。

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