2019年12月28日土曜日

技術の進歩がもたらした側面…学歴とハードウェア


義務教育を終え、進学し、卒業し、就職したら──…

人間は自分の能力の限界に達する年齢が若くなってきているため、そこから先が「長すぎる」ことが問題との見方も出てきました。

技術の進歩が人間を肉体的・精神的に早く成長させ、生活を補佐するどころか取って代わるまでに至ってしまったのです。

知識を学び、仕事の要領を覚え、成果を上げる。

人間が社会的に自立するまでには多くのテクノロジーの支えが欠かせません。
しかし自立したからといってそれを手放すことができるでしょうか?

そう…もはや生活に根づいた技術からは離れられないのです。

停電が1日続いただけで暮らしのあらゆるものが止まり、食品は腐敗し、暖や涼を得ることはできず、情報が入ってこなくなることの不安から大混乱に陥る現状……。


人間が豊かでいるためには、技術と共存していくほかにありません。

「共存」といえば聞こえはいいですが、本質的には「依存」です。
技術に「支配」されているともいえます。

こう考えると身の回りのテクノロジーは奇妙で恐ろしいものに見えてくるでしょう。

待望の技術、歓迎される技術。

それが急に忌まわしいものにさえ感じられるでしょう……。


学校で基本的な知識を学ぶだけで、その先はほとんど技術によって生かされるだけの人間。

自分の力を試しているつもりが、実際には既存の技術を応用したものに過ぎず、慢性的な不満に陥るも、技術の仕組みや制御する方法を知らないため、妥協するしかないという人はとても多いはずです。

ハードウェアの理解は容易でも、ソフトウェアは雲をつかむような話に感じられませんか?

物理的に見える部分や、実際に手で操作する構造を知ることは簡単です。
しかしそれがどのように動いているのかを理解できる人はほとんどいません。

電気の知識がなくても、部屋のスイッチを押せば誰でも照明をつけることができます。
「スイッチを押して何が起きているのか」を説明するのは難しいし、そもそも関心すらない人が多いでしょう。


私はハードウェアを「学歴」と考えています。

ソフトウェアはその学歴で「何をするのか」に相当します。

どんなに優れたハードウェアがあっても、用途がよくわかっていなければ何の役にも立ちません。

学歴をアピールする人は、ことさらハードウェアを見せびらかす以外に何を示しているのでしょうか。
用途不明なハードを量産してオークションにかけられているだけのように見えます。


私は残念ながらゴミのようなハードウェアなので、どうにか用途…つまりソフトウェアに磨きをかけるしかありません。
結局うまく動かないかもしれませんが……

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