マビノギで転生の話題をしたついでに…
私は過去に死んだような経験が何度かあります。
2歳のときにベランダから地面に転落して頭を強く打ち、心配停止の状態に。
真冬の小学校のプールに忍び込み、氷の上を渡ろうとして沈没、溺れる。
18歳のとき苦痛に耐えかねて自殺を図り、危篤状態に。
最初は事故でしたが、次は過失、その次は故意でした。
よく生き延びたものだとみんな不思議に思っています。
運の悪さと、不注意さと、メンタルの弱さの3拍子がそろっている私…。
いや…
その結果、今こうして生きているということは、
運がよく、不注意から学び、メンタルの強化を図れているのかもしれません。
とはいえ「死」に直面した経験は、私と関係者の記憶からは決して消えることがありません。
まさに幽霊…
まさにめんま…
私だけが「向こう側の世界」を見てきてしまった。
肉体的な痛みや精神的な苦しみはもちろんのこと、
自分が望んだわけではない世界へ、
意思があっても決して引き返すことのできない世界へ、
何の予告もなく投げ込まれそうになった。
今も私は、生きているような、死んでいるような(ry
自分は物理的には存在していないのではないかと感じることがあります。
なぜなら…
周りにいる人はたしかに私の姿を「見る」ことができるし、「触る」こともできるのに、
彼らの見ている姿は私の見ている姿とは違っているから………
……
見えている姿の違いについて理解を得たのは20歳のときでした。
幼いころの衝動性、対人関係の不可解な困難、今なお続く数々の不器用さ…
これらすべての原因が「アスペルガー障害」に由来することがわかったのです。
それから私は何か変わったでしょうか。
変わっていません。
知識と理解を得たところで、アスペルガーは変化も進化もしません。
それが仕様だからです。
ただ知識の量は増えていきます。
課題も増えていきます。
記憶も増えていきます。
私と関わる人の数も増えていきます。
何が変わっていくのかというと、私の周りの世界なのです。
知識を得るのは私が変化したのではなく、私の目の届くところに情報がやってきたからで、
課題も私が作るのではなく、誰かが私に与えるからで、
記憶も私の中から生じるのではなく、私の外からもたらされるもので、
私と関わる人も私が呼ぶのではなく、人が私の元へ来るからです。
私は現実を限りなく正面から見ており、それから学習するのが生きがいのようです。
実際、私がこうして学習をしているときが一番まともなのです。
誰かを害するのでもなければ、大切なものを奪うわけでもありません。
むしろいいものを与えている。
…と思いたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿