2014/09/03

不幸だと感じる要素は無数にあるが、幸福になる条件は一つしかない

前回、命がけの努力よりも自分の認識を変えたほうがよいという結論に達したが、
現実にはそれが困難になるほど人に不幸を感じさせる要素があふれており、
その要素をなくそうとすればするほど別の要素に気がついて不幸になる傾向にある。
ということを説明した。

幽霊を信じる人も信じない人も、暗闇のトンネルや地下室などに閉じ込められて
しばらく一人きりという状況になれば不安や恐怖に駆られるようになる。

自分の出す物音や声の反響以外には何も聞こえてこない暗闇。
感覚が鋭敏になると、かすかな物音にも動揺を隠せなくなる。
それが自分の出した物音なのか、同じ空間に何者かの存在があるからなのか、
壁や床が崩壊して生き埋めになる前触れなのかが判断できないためだ。

この場合、幽霊がいるかいないかという問題はほとんど関係がない。
暗闇の中で何が起こり、また自分の頭が何を考えたとしても、
そこから脱出できない限り、最終的にすべて不安材料となるからだ。

どんなに明るいことを考えても、どんなに素晴らしい発見をしても、
どんなに楽しいことがその日、予定されていたとしても、
「暗闇から出られない」という要素一つで失われてしまう。
つまり「不幸」ということである。

逆に「幸福」とは何なのであろうか。
「暗闇から出られる」ということである。

どうしたって暗闇の中にいたのでは不幸のままなのだから、
幸福になる条件はただひとつ、そこから出られることだけなのである。


こうして考えてみると当たり前のことを言っているだけであるし、
簡単な条件のように思われるだろう。

人によっては、暗闇を照らす明かりを探すとか、
別の出口を見つけるとか、どうにかして外部に連絡を取ろうとするかもしれない。
火起こしの技術や、飢えをしのぐサバイバル術を展開する人もいるだろう。

たとえそのような手段が使えたとしても、結局、暗闇から出られなければ意味がない。
もちろんそれを期待してさまざまな行動を試みるので、
期待のあるうちは必ずしも不幸を感じるわけではない。
しかし最終的に脱出不可能となれば、状況は何も変わらないのだ。

とりわけ「状況は何も変わらない」という境遇は人を不幸にさせる。
自分の努力や機転が実を結んでいないということを意識してしまうからだ。


「暗闇の中にいても幸福と思え」
というのが無茶な注文であるのと同じように、
現実には不幸にさせる要素であふれているのだ。

幸福になる条件が一つしかないというのも、不幸だと感じさせてしまうのかもしれない。

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