2026/09/02

見合いという強制マッチング制度を今さら復活させたらどうなるか

見合いによる「妥協勢」と、容姿や収入などで相手を選べる男女との間に不公平感が生まれます。


見合いは弱者を弱者同士で助けることができる福祉と捉えることもできます。

しかし見合いによる繁殖は生物学的な観点からは決して望ましいとはいえず、競争力に欠けるので強い遺伝子が残りにくいのと、多様性や意外性は高くても間引きや抽選ができないので障害や疾患を持つ個体や相性問題が付きまといます。

事実、見合いで誰でも結婚できた世代の子孫は発達障害が多いといわれていますよね。

それ以外にも難病や、生活に支障をきたす不調や意識・思想の問題が広くみられます。

人間の仕様上、間引きは困難か不可能なのが現状です。

私のように本来ならば生まれてこないか、合法的に取りやめることもできた個体が生き長らえているのが大変大きな問題で、正直もうどのように振る舞っていいのかわからないんですよ。

それでもかつて見合いが行われていたのは、人口が減少するよりは強引にでも増やしたほうがいいという判断があったからです。

今は見合いでも選り好みするし、独身であることを誇る人や男女の対立を煽るのが好きな人が増えてきているので、ますます少子化が加速しています。


「平等」を訴える人も、自分が都合よく扱われることを望むばかりで、他人を平等に扱うつもりは毛頭ないという自分勝手な状況では、誰も愛せないし誰からも愛されずに孤立することになります。


そう、人と人が出会う機会はいくらでもあるのに、みな程度の差はあれ孤立しているような感覚に陥るのです。

見合いには「競争力に欠ける」「不適切な子孫が生まれがち」という深刻な問題がありますが、それでも人口が増えているうちはよかったのです。

今や人口減少が急速に進行するようになり、国力の低下が著しいところへ移民を招き入れているのですから、以前とは状況がまったく違っています。

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