よく「将来のために努力をする」という表現をします。
努力を積み重ねていけば何かの役に立つ、見返りがある、得をする、という期待です。
しかしそう都合よく好結果をもたらすとは限りません。
努力が初めから「負債」となってしまうことも非常に多いのです。
貯蓄どころかどんどん借金をしているようなもので、
努力すればするほど負債を抱え、返すのが困難になっていく。
何もしないほうがマシな努力もある、というのが現実です。
本人は「自分の持っているものを蓄えている」つもりであっても、
それは手元に蓄えられているわけではなく、
努力の対象に向かって投資しているような状況になります。
「???」と思われるかもしれません。
努力は金銭でなくても、物品でなくても、他人をあてにするのでなくても、
すべて「自分」にできることを行っている、あるいは失うようなものを何も費やしていないとしても、
「時間」という重要なものを常に割いています。
学生のころ将来を思って特殊な技能を学ぶために進路を選び、
そこで専門的な教育を真面目に受けても、いざ「将来」が訪れたときには
そのスキルの需要がなくなっていたり、飽和していたり、気が変わったりしていたら、
別の進路を選んだ人たちよりも就職で不利になってしまうでしょう。
必ず不利になるというわけではなく、不利になる可能性がある、
つまり「リスクがある」ということです。
そういう意味で努力は投資にたとえることができるのです。
必ず実を結び、必ず利益を得られ、必ず成功する努力があれば誰も苦労しません。
自分の努力というものが「リスクの高い投資」であるのなら、
少し努力の方向性を見直してみるのがよいかと思います。
あえて何もしないでいることのほうが、無理に行動して事故や災難に見舞われるより
賢明であることも少なくないため、周りに流されないようにすることも大切です。
みんなが飛びついてみんなが満足するようなものは存在しません。
そうやってみんなが一斉に同じ行動を取るから不満が起こるし、
事故も起こるし、結果的に期待を裏切られたような認識に陥ってしまうのです。
成功を確約するかのような話は全てインチキとみなしてかまいません。
そもそも人間は「成功=満足」という式にはなっておらず、必ずといっていいほど
成功の先に不満を呼び起こしているのが現実です。
結果的に不満になるのなら、成功することに何の意味があるのでしょうか。
逆に言うと、失敗しても本人にとっては満足をもたらす場合がある。
(物質的に)不利益を被ったとしても、本人が満足であれば利益とみなすこともできる。
人の思いというのは複雑であり、ここで書いたような例外や矛盾もあるし、
意外と単純だったり、どうでもよかったりと、簡単には理解することができません。
他人のことを考える前に、まず自分のことから手をつけていきましょう。
私もそうしています。
0 件のコメント:
コメントを投稿