2011年11月19日土曜日

アスペルガー障害の一つの特徴といえるもの

「ダメな部分」だということを自覚している場合、どんなに酷評されても気にならない

むしろそれを不自然な仕方で褒められたり、無理やり長所に結び付けられたりすると、
自分と相手との間で認識のずれが生じ、事態はかえって悪化する。

私も(・公・)もこれまで多くの誤解をされ、そのつど認識の調整に追われてきました。

私たちが「無理だ」「こんなの偉くもなんともないよ」と思っている部分を
無理じゃない」「すごく立派だよ」などと前向きに捉えられるというのは、
実はちっとも嬉しいことではないし、「そうじゃない! それが誤解なんだってば…
というように、人が想像していることと現実との違いを説得するので手一杯になります。

「不当に」あるいは「無理やりに」良い評価をされるのはマイナスでしかないのです。

こうして人が不健全な「期待」を抱き、私たちに不健全な「自信」を与え、
その結果がどうなるのかといえば、


……

…………


(´・ω・`)



でも勘違いしないでください。

私たちはただ一方的な悲観論や、こだわりに支配されているのではありません。
本当はものすごく楽観的だし、こだわらない部分は素通りしてしまう大ざっぱな性質なのです。

問題は、
楽観視すべきでない、私たちがとにかく「無理だ」「困難だ」と自覚している部分を
楽観視してしまうというところにあるのです。

ぶっちゃけて言えば、励まさないでもらいたいのです。

いわゆる「うつ病」とは違うので、励まされること自体で打撃を被るわけではないのですが、
私たち流にいえば
励まされなくても日常的に行えていることを評価してもらいたい。

これは、健常者でしかもアスペルガーを知らない人からすれば
きわめて異常と思われる部分です。

そしてそれは私たちも十分に認識しています。



もしこの記事を読んで「きわめて異常」と感じる人がいれば、
アスペルガーと健常者との認識のずれがそこにある、ということになります。



私たちは誤解の根本的な原因を身をもって痛いくらいに認識しているのですが、
これを健常者に説明するすべがなく、多くの場合、最後まで誤解されたままになります。

誤解であることを説明しているのに、さらに誤解されてしまうのなら、
もうどうすることもできず、自暴自棄に陥る、、、、というケースが珍しくないのです。



アスペルガー同士ならよくわかる部分です。


私たちは合理的で、学習したことをストレートに実践に移すことができるので、
認識の一致していることに関しては、言葉も交わさずに伝えられます。

逆にいえば、言葉が「必要」な物事というのは、
お互いの認識が違うか、不足している場合だけなのです。


しかし


相手が健常者の場合は話が違います。

まず、相手は自分とは異なる認識を持っているかもしれないので、
それを知ることから始めなければなりません。

するとどうなるか?

質問攻めになってしまいます。

あるいは?

自分のことを延々と語ることになります。



もしあなたが健常者であれば、これを不可解と思われるのは自然のことです。

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