身の回りにいる “他人” にはもう挨拶すらしないほうがいいという認識に至ってしまうほど生きづらい世の中。
治安の悪化が進行し、他人事ではなくなってきている地域では特に深刻。
日常の挨拶や善意を自分に対する好意であると勘違いする弱者が脅威になっているのだ。
女性の権利や社会的地位が高くなるにつれ、「男に守ってもらう」という昔の様式から一変し、自立することが重要になっている。
「男女平等」を叫んだ結果、身体能力的に不利な課題も割り当てられ、厳しい評価や扱いにも耐えなければならなくなった。
男女平等といっても、仕事や役割は明確に区別したほうが明らかによかったのではないだろうか。
だが……今さら元に戻すことはできない。
「頼りになる強い男」はもともと少数派なのだ。
むしろ弱体化し、ふてくされ、非協力的で協調性がなく、対立しがちな者であふれ返っている。
かと思えば、相手の一挙一動を「好意」と捉えストーカーに豹変する男もいる。
適切なパートナーを見極めるための審美眼が厳しくなっていくのは無理もない。
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