オタクのコンテンツに男女が関わると対立しやすい。
現実では「サークルクラッシャー」というのがおり、オンラインゲームではギルドやたまり場を荒らされる。
命ある者の織りなす生殖活動の様相は、1つの卵子に多数の精子が群がる構図である。
これ自体は普遍的な現象であり、きわめて自然なことである。
生存の基本中の基本。
もし男が女に群れるのを “やめ” たり、やめざるを得なかったりするとどうなるだろうか。
その女には魅力が「ない」ということを集団全体で証明してしまうようなものである。
生物としての存続にかかわる由々しき事態であり、決してそのようなことにはならないように本能の中にあらかじめプログラムされている。
実際のところ女子はその気があろうがなかろうが、そこに存在するだけで男子の気を引いてしまう。
どれほど男女が疎遠になっても、不信感や対立をあおるキャンペーンに徹しても、どこかで必ず交わるようになっているのだ。
しかし
それを主要な目的として位置づけているわけではないコミュニティーの場合、どうしても男女のすれ違いや一方的な暴走に発展しやすい問題がある。
コンテンツを盛り上げたり、ゲームで対戦したり、協力してより難度の高いダンジョンを攻略したりするのが目的なのに、男女が関わったとたんに上手くいかなくなることが多い。
話し合いや議論では収拾がつかず、最終的に「誰が悪いのか」を押しつけ合うことになってしまう。
誰が悪いのかははっきりとしている。
──誰も悪くない。
生物としての本質的な構造に原因があるからだ。
ではどうすればコミュニティーの崩壊を回避できるのか。
厳格なルールや目的を持つことをやめ、柔軟かつ妥協して対処するしかない。
常にある程度のトラブルは想定しておく必要がある。
どんなに根回しして最大限の注意を払っていても、完璧には事が運ばないからだ。
むしろそうしたランダム性が少なからずあるからこそ男女の偏りを解消し、多様性をもたらし、環境の変化に適応することが可能になっている。
もしイケメンと美女のみの交配が続くと、短い世代で致死的な問題が起こってしまう。
0 件のコメント:
コメントを投稿