2014年8月29日金曜日

ぷぷきんメキッ

バキッ

2014年8月25日月曜日

オオレ

レオオ

2014年8月13日水曜日

手羽先

手羽先(>ω<)

助六寿司

小僧寿しはなぞの鮨

玉虫の逗子

静止寿司はなぞの店

ぷぷぷうンド

(´,_ゝ`)ランド

本人が幸せならIQなんかどうでもいい

IQ(知能指数)はおもに幼少期の知能の程度を調べるものであって、
それ自体が頭の良さや人間性を表しているものではない。

単純な整数によって表現されるので安易に比較してしまいやすいだけである。
ドラマやバラエティ番組の影響が非常に大きい。

仮にIQと頭の良さに相関があるとしても、それと本人の幸せや満足度は比例しない。
むしろ数字を比較し合うこと自体が頭の悪そうな発想ではなかろうか。

2014年8月12日火曜日

実際お絵描きに「練習」という認識はない

朔もそうだが「練習」にこだわったりアピールしたりする人が多い。
「上達」の手段として「練習」がある、と思っているわけだ。

ところが実際はそうではない。

いつでも本番
という認識が正解なのだ。

絵を描けない人ほど「練習」にこだわる傾向が強く、
描ける人ほど「描く」という行為そのものが自然と出てくる。

つまり、
練習のために絵を描くのは不毛
というのが真理だろう。

いつでも本番の気持ち、「とにかく完成させる」という意識で臨まなければ、
いくら「練習」しても成果を得ることはできない。


野球選手や歌手であれば、
どんなにバットのスイングを練習してもボールに当てなければ意味がないし、
腹式呼吸の練習をしても実際に声を出さなければ意味がない。

さらにボールに当てたなら走らなければ試合では意味がないし、
声を出しても意味のある言語や正しい音階でなければ意味がない。

練習だけでは役に立たないことがわかるはずだ。
特定の、限局的な操作や行動だけではなく、
一連の流れが必要不可欠となっている。

「練習に意味があるような気がする」と思い込んでしまうのが最大の間違いであり、
それがつまずきの原因なのである。


意識の持ち方が問題であり、
練習そのものが無意味といっているのではない。


マビのお絵描きチャットでさえ、「練習」といって適当に手を動かしただけでは
見る人には何も伝えられない。

少なくとも自分が何を描いているのかを認識し、
完成させるところまで進める必要がある。

「練習」といって終始甘えてしまうと、何も生み出すことはできないのだ。

ブランデンブルグ

フランクフルト

雨乞い腹筋

あたまつ

2014年8月11日月曜日

平和を安全を←

と叫ぶ人は多いけど、今の平和に満足できない人というのは不幸だね。
安全の水準はどんどん高くなり、それでも満足せず、さらなる安全を求める。

その安全のために犠牲になるものがあることに気づかない。

台風一過腹筋

一貫の終わり腹筋