2014年5月31日土曜日

統合腹筋

ふごぁ

2014年5月30日金曜日

嫌なことはいつまでも覚えているのに楽しいことはすぐ忘れてしまう理由wwwwwww

危険は覚えておくことで回避できる。
もし毒劇物や災害に関する知識を失ったら、それらを回避できなくなってしまう。
地雷の性質や設置場所を覚えておけば踏まずに済む。

一方、楽しい思い出は忘れることで「また経験できる」。
楽しい思い出がいつまでも記憶にあると、既知感が生じて楽しさが半減する。
初めての経験のほうがo(^∀^)o タノシイ♪

2014年5月24日土曜日

自腹で色んな腹筋

リキュール

2014年5月21日水曜日

さようならASログ(あすさんねっと)


asusan.net は契約期間満了となり解約に至りました\(^o^)/

初めてのレンタルサーバーとPukiwikiのサイトということで
当初は(0゚・∀・)ワクワクテカテカしていたけど、
ぶっちゃけブログで十分です
なんですよねーーーーーーー

トンカチで十分です……

朔もブログをやるぞ!Σс(゚Д゚сになってきて(゚∀゚)ウレ!しい!!!
これからはブログ一筋でやるぞ!Σс(゚Д゚с

2014年5月20日火曜日

どろり濃厚ピーチ味

ミルポワァァン

(^p^)はいしゃwwwはいしゃwwwうぃくうぃくwwwwwwww

(^p^)おくちあーんするのですよwwwwwwww
(^p^)ちゅいいいいいいいいいいいいいいいんwwwwwwwww
(゚p゚)ちゅいいいいいいぎゅるぎゅるぎゅるwwwwwwwwwwwる
(^p^)ぶごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
(゚p゚)ちゅいいいいぎゅるるるるぎゅるぎゅるぎゅる・・・・いいい・・・・ん・・・・
(゚p゚)ごおうううううううぐぐるぐるぐぐるぐぐぐぐぐぐるるんぐgるるる・・・
(^p^)おくちゆすぐですよwwwwwww
(^p^)ごきゅごきゅぐじゅぐじゅぐじゅ・・・・
(^p^)うべっ

30年継続腹筋

ププロア

初めて買ったケータイで初めてのメル友ができた→

メールの返信を今か今かと待ち続けることに。

多くの人が経験しているであろう「メル友」とのやりとり。

メル友という言葉があまり聞かれなくなって久しいが、
LINEやツイッターという別の手段がその代わりとなっている。

ツイッターでつぶやきをする

フォロワーの反応を今か今かと待ち続ける

LINEでもほぼ同じである。
メールのときもほとんど同じである。
もっと古くは「留守番電話」の返事を待つときも同じである。
さらには「文通」も同様である。
懸賞に応募して結果が出るのを待つのもやはり同じである。


いずれの「手段」にも共通しているのは、
自分の送り出した言葉(発信)に対しての反応を待つことになる
ということだ。

待っている間はワクワクテカテカするかもしれないが、
じれったいので、できれば待ち時間をなくすか短くしたい、
すぐにでも反応があってほしい、と感じる。

とにかく待ち時間というのは多かれ少なかれ負担であり、
ストレスを感じさせるのである。

どのような手段であれ、この世の最高速である「光」をもってしても
お互いを往復するのには時間を要するため、必ず待つことが生じる。

もう一度、共通している部分を強調しておくが、
「反応を待つ」
つまり誰かの返事やリアクションを期待しているという点だ。

期待するものがなければ、特に待ちわびることもないという意味でもある。


「チラシの裏」という表現がある。
それはチラシの表(記事)と異なり、
誰かに知らせるわけでもなく、聞いてもらいたいわけでもない、
特に意味や目的のない文章や創作物のことを示している。

正確には、それを書いた人が、「意味や目的のないもの」と主張すれば
なんでも「チラシの裏」ということになる。

しかしそれを見た人は何かしら反応するかもしれず、
本来の意図とは異なった扱われ方をすることがあるのも特徴である。

具体的な対象の存在するメールやツイッターは「チラシの裏」とはいえない。
そのため意味や目的を込めなくても反応される可能性が高い。
無意味な「つぶやき」でも人目に留まり、お気に入りやリツイートされる場合がある。

ときにはいたずらで犯行声明や自殺をほのめかすような発言もみられるが、
そのほとんどは文字通り「いたずら」であって本気ではないのであるが、
法律や大衆の反応(通報等)の解釈によっていたずらでは済まされなくなり、
おおごとになってしまうことが多い。


さて、私がブログを公開することについて「何も期待していない」とすれば、
この記事も立派な「チラシの裏」ということになるが、
そもそも期待をするから反応を待つのがもどかしくなるのである。

変な自信や期待を込めると疲れることが多くなり、継続が難しくなる。

正直なところ、長文をびっしりと書き連ねること自体はさほど疲れないのだが、
それを人に読んでもらおうとしたり、反応を待っていたりすると疲れる。
そしてそれが積み重なることでイライラや抑うつを引き起こすのだ。

では今回の記事はどうなのか。

今回の記事はというか、私の書いているほとんどの文章がそうなのであるが、
書くことは実際とても面白い。
自分で好きなように考え、好きなように書く文章は面白い。

2014年5月19日月曜日

外部からの影響を受けずに文章を書くときは一番狭い視野でいられる

「何を書こうか」
といって外部の情報を参照するのと、
「もう書くことは決まっている」
ことの決定的な違いが視野の広さに現れてくる。

前者は自分で文章を書きながらも常に受動性を保っているため、
書いている最中に気分が変わったり、おかしなことに気づいたりする。
そのためひどく効率が悪い、というか、本来の自分を生かせなくなる。

後者は一方的・自己中心的な心境で書いているため、
自分の文章を誰がどう読むか気にしたり、無駄に意識を高くしたりしない。
書いていて楽しい、充実する、(゚∀゚)ウレ!しいといった感覚を持ちやすい。

常に外部のソース、信頼できる情報源、人目、などを気にしていたのでは
ものすごく神経を使うし、それは単に既存の情報をいじくり回しているだけになり、
特に新しくもないし、物珍しさもないのである。


意外に思われるかもしれないが、
よかれと思って視野を広くしても結果はあまりよくならない。
自分が参考にしようとしている情報はあまりにも多すぎるため、
そもそも役に立たないことがほとんどだからだ。

単なるコピペのほうがいいかもしれないほどである。

コピペの延長にすぎない作業をわざわざ苦労して行う必要はなく、
それに魅力ややりがいを感じるのは間違っているのだ。

本当に大切なことは、コピペや改変などではないはずである。
コピペや改変をいくら頑張っても、そのうち
「こんなこと別に人間がやらなくてもいいよなぁ…」
と感じるようになってしまう。

視野の狭い状態のほうがよほどマシである。

不用意に視野を広げると、知らないほうがいい情報まで得てしまう。
それは広い視野に足をすくわれているようなものである。

シャドウ腹筋分身

基地外すぎるww

2014年5月18日日曜日

猫の草をシャクシャク∧_∧

猫は毛玉を吐く以外にも好んで草を食べることがあります∧_∧

食べている草は燕麦(えんばく)というイネ科の一年草。
成長が早く、種をまいてから数週間で猫が食べられる大きさに育ちます。

動画の冒頭を見ての通り、草を見た猫は非常に興奮(喜んで)するほど
大好きなのです。

今ある情報や材料だけでやってみる

わからないことがあったら調べる前に、
まず自分の持っている知識や経験から探ってみよう。

ネットで検索するくせをつけると、ついつい余計な情報まで目にしてしまい、
不用意に視野が広がり、本来の目的から外れやすくなるからだ。

どうしても行き詰まったら検索すればいい。

このところ個人的に気になっている「追体験」の弊害を避けるうえでも
それは有効であると思われる。

自分の経験より他人の経験を再現することが主題になってしまっては、
何をやるにも他人任せで、実質的に自分はただの傍観者になる。

情報が右から左へ流れているだけ、
いや、その情報の橋渡しになっているようなものか。
コンピューターでいうなら、ただの通信ケーブルである。
それ自体は何の演算機能や記憶領域も持たない。

なんでもネットで検索するというのは、ちょうどそのようなものなのであろう。
検索したい意思はあっても、ただサーチエンジンに「接続」するだけで、
そこから得られる情報をただ通過させているにすぎない。

それで「おれ頭よすぎwww」とか「全能感」のようなものを覚え、
いわゆるネット弁慶に陥ってしまうのだ。

情報を見たり聞いたりするだけで自分の財産になることはありえない。
種をまいただけで作物は育つわけではないし、収穫できるわけでもないからだ。


なんでもかんでも検索検索ぅ~~~というのは、
自分という限られたスペースにひたすら種をまき続けるようなもので、
ろくに土を耕してもいないし、日照や水やりも管理されておらず、
作物の相性も考慮せず、めちゃくちゃに芽を出させるのと同じである。

そんなことをしても、まともに収穫できるものはほとんどないだろう。
繰り返せば土壌が弱り、二度と栽培ができなくなるかもしれない。

すでに十分すぎる量の「種」を手に入れているはずだから、
次にするべきことは、それを適切に育てることである。

腹筋ショット

ショット棒

またあすぴんの手wwww動画だぞwww

蛍さんが喜ぶあすぴんのHHKBと書かれたタダシくんは虫のカービィ

2014年5月17日土曜日

視野を広げると自分の存在が小さくなる

自分の周りの空間が広がることにより、相対的に自分の存在は小さくなる。
いたずらに視野を広げれば広げるほど自分は小さくなり、
頼りなく、自信を失い、価値は薄らいでいくようだ。

本をたくさん読むといい人になれる()
いろいろな人と接して見聞を広げよう()

これは罠になっているようだな。

ググれば馬鹿でもわかるような情報を知っていることにもはや価値はなく、
むしろそれに振り回されることが大問題になりつつある。

情報のは少なくても、自分で特定の専門分野を持っているのなら、
そこには揺るぎない「自信」が存在するはずだ。

なにか1つ長所があるというのはいつの時代でも重要なことで、
闇雲に短所を潰していくよりも上手くいくことが多い。
短所が10個あっても長所が1つでもあればいいのだ。

いけないのは、自分に長所といえるほどのものがなく、
短所をしらみつぶしになくそうとする努力や姿勢である。
それはキリがない。

本当にキリがない!!

どんなに頑張っても中途半端な結果しか出せない。


世の中の多くの情報に惑わされるな。

それは多すぎて「個人」に適用することなど不可能だからだ。
自分は個人であって集団ではないことを覚えておこう。

今「視野を広げる」のは得策ではないかもしれない

「視野が狭い」と自覚のある人は本当は広すぎる視野を持っている。
うかつに視野を広げて情報の波に身を委ねると……そのほうがまずいかもしれない。

それとは反対に一つの物事に没頭したり熱中したりするのはどうだろうか?
イメージとしては視野の広い人よりも狭い人のほうが悪い印象がありそうだが、
実際のところどうなのだろうか?

「グローバル」や「インターネット」という概念のなかった時代に比べて、
個人の意識はどのように変わっただろうか。

大きくて全体的な様相や動向はよく見えても、
それらを構成する小さくて断片的な部分は見えにくい。

かと思えば限局的な部分だけで全体を判断することもある。

ある「国」で事件や事故が起こると、「人」を考慮することなく
「この国は~~~~」とまとめて判断してしまうことがよくある。
実際にはその国のとりわけ目立った「部分」だけのことなのに、
あたかも国民のすべてがそうであるかのようにみなしてしまうのだ。

これも加減の難しい課題である。

視野が広すぎると自分の周りがあまりにも広大で、
どちらに向いているのか、どの場所にいるのか、判断がつかない。
どの方角に進むのかが決まらないからだ。

もちろん「進路」の選択肢や可能性は多い、といういい意味でもある。
しかし選択肢が多すぎて進路を決めることができず、その場に立ち尽くしたり
迷ったりするのは非常に問題である。

そうなってしまうくらいなら、もっと狭い視野で限定的な進路を選択したほうが、
結果的にはよくなるかもしれない。

もう許さないぞバキインマン!!

なぜなのか

追体験の深刻な弊害

追体験とは簡潔にいえば、
他人の体験を自分の体験ととらえること。

たとえば人の作文、ブログ、レビュー、批評、感想、ゲームのプレイ動画などがあります。
それらを読んだり聞いたりし、他人の体験を自分の体験として再現する。

詳細なレビューやリアルなプレイ動画を試聴すると、
自分はその物事に手をつけていないのに、あたかも体験したかのような感覚に陥る。

この現象が知らず知らずのうちに浸透してしまっている……

交通事故や戦争、震災、不況といった情報をニュースなどで間接的に見るだけでも、
自分が実際にその場にいるような感覚になり、身構えたり、恐怖におののいたり、
無意識のうちに「ああ自分もこんな危険にさらされているんだ」と感じたりし、
何の根拠もないのに「もうだめだな」と絶望に駆られる場合があるのはそういうことなのだろう…


きわめて痛い話です。


耳が痛いとかそんなレベルじゃなくて、
(;´∀`)・・・うわぁ・・・ってなる痛さです。
ヽ(´Д`;)ノアゥア...

2014年5月16日金曜日

腰痛と腹筋の関係を知ると「水泳」が運動として優れていることもわかる

腰痛と腹筋の関係が理解できると、運動の必要性や重要性もわかるようになります。

水泳というのは、単に「水の中を泳いで進むスキル」と思いがちですが、
それは水泳の一部分に過ぎません。
実際に水泳がもたらすのはもっと別のものです。

水の抵抗というのは普段、人が生活している空間と比べて非常に強力です。
全身が水に浸かっていると文字通り「不自由」で、
走りたくてもぜんぜん走れないので、ゆっくり進むことしかできません。

水中で体を素早く動かすことは物理的に不可能なのです!
それほど水の抵抗というのは大きい。

前の記事でも述べたように、体を素早く動かすことはダメージをもたらす場合があり、
関節や腱を痛める原因になることが少なくありません。

しかし水中では素早く動かすことができないので、反動によるダメージの心配がない!

必然的に「ゆっくり」としか動かせないが、水の抵抗を常に受けているため
筋力を要求されるし、体の特定の部位だけでなく「全身」に及んでいるので
運動量としては非常に大きなものとなります。


水泳は「スポーツ」や「競技」として考えると、
それなりの素質や教養が必要で難しくなってしまいますが、
あくまで「運動」と考えるなら、ただ水中を歩いたり適当に泳いだりするだけでも
全身の筋肉を使うため、効果的に体を鍛えることができるといえます。

水中に深く潜るとか、長く息を止めるという無理な注文もありません。
息継ぎや「速く泳ぐ」スキルを第一に考えなくていいのです。

腹筋を鍛えるようになると腰痛が気にならなくなってきた

持病というわけではないのですが慢性的な腰痛がありましてね…
その原因はおそらく中学生のころからくせになっていた、関節をボキボキと鳴らしてしまう
非常に危険な習慣にあったのではないかと思います。

ボキボキッ!!グキッ!!メキッ!!

と盛大に鳴らすと、その瞬間は快感とリフレッシュのような錯覚が起こり、
なんとなく体にいいようにさえ感じるんですよ……

絶対にやめてくださいね!

腰や首はもちろん、足首や手の指の関節も鳴らさないほうがいいです。
ストレッチをするのなら音を鳴らさないようにゆっくりと各部位を伸ばしましょう。
これは基本中の基本です!
反動やスナップを利かせて体を伸ばす・ひねる・回すのはいけないんです。
勢いに身を委ねるとダメージを受けます。

息を止めないように、ゆっくりと、体を伸ばしていく……

肉じゃが

わあい肉じゃが(^ω^)

ほたぴんとあするさん

2014年5月4日日曜日

デザート

わあいスイーツ

モスラバーガー

わあいモスラバーガー

幼いころはどんなゲームでもやる気があったのに

歳をとるにつれてジャンルが狭くなったし、興味を持つことも少なくなったよな…
それどころか進化するゲームシステムや操作方法(コントローラー)に抵抗が。

加齢による変化は仕方ないとしても、放置するとまずそうだな…

無料で遊べるゲームは山ほどあるのに、どれもプレイする気になれないというのは
ゲームが悪いんじゃなくて自分に何か原因があるんだ……
やってもいないゲームを「クソゲー」とか判断できるわけないじゃんwwwwww
まさか他人のレビューだけで「そう思う」って決めつけてるのでは…



あすさんはバイオハザード1と2だけじゃなくて実は3もやったことがある。
しかしゲームのシステムがかなり変わっており、なじむことができなかった……
緊急回避とか弾薬の調合とか、「こんなのバイオじゃない」って思ってた。

コードベロニカだっけ? もうぜんぜん知らない状態…
たぶん同級生たちはキャッキャ(*´∀`) (´∀`*)ウフフしてただろうなぁ…

バイオが悪いんじゃなくて、ちょうど年齢的に変化の時期だったようだね。

あすさんにも(;´Д`)ウトゥーな時期があったのだ。
でもバイオ1と2だけではこの先生きのこれないwwwwwwwwwww
この先生きのこ…

ファイナルハァンタジーも5と6しか知らんのよあすさん…
全部やるぞ!Σс(゚Д゚сってなればよかったのにね。
(゚∀゚)ウレ!しい


ゲーム自体は遊びかもしれないが、ゲームに対する意欲や取り組み方は
その人のバイタリティというかステータスをはっっっっっっっきりと反映していると思う!

ゲームがつまらなくなっているはずがないじゃん…
リアルのほうが楽しいの???おかしいよ…

「ゲームなんて(゚⊿゚)ツマンネ」って言っている人は、
そのゲームより面白いものを知ってるの??提出できるの??
できないでしょwwww

L(*゚Д゚*)」 オホー!

(*゚д゚*)

ゲームがおもすれー( ^ω^)とか(゚∀゚)ウレ!しいってなることが肝要だ。
(;^ω^)つまんね━━━━!!!!( ´дゝ`)クダラネーじゃいかん…


人と人のつながり()とかコミュニケーション()の以前に、
ゲームがおもすれー( ^ω^)ってならないとねwwwwwwwwwwww

親知らず腹筋

歯といえばww