2014/08/12

実際お絵描きに「練習」という認識はない

朔もそうだが「練習」にこだわったりアピールしたりする人が多い。
「上達」の手段として「練習」がある、と思っているわけだ。

ところが実際はそうではない。

いつでも本番
という認識が正解なのだ。

絵を描けない人ほど「練習」にこだわる傾向が強く、
描ける人ほど「描く」という行為そのものが自然と出てくる。

つまり、
練習のために絵を描くのは不毛
というのが真理だろう。

いつでも本番の気持ち、「とにかく完成させる」という意識で臨まなければ、
いくら「練習」しても成果を得ることはできない。


野球選手や歌手であれば、
どんなにバットのスイングを練習してもボールに当てなければ意味がないし、
腹式呼吸の練習をしても実際に声を出さなければ意味がない。

さらにボールに当てたなら走らなければ試合では意味がないし、
声を出しても意味のある言語や正しい音階でなければ意味がない。

練習だけでは役に立たないことがわかるはずだ。
特定の、限局的な操作や行動だけではなく、
一連の流れが必要不可欠となっている。

「練習に意味があるような気がする」と思い込んでしまうのが最大の間違いであり、
それがつまずきの原因なのである。


意識の持ち方が問題であり、
練習そのものが無意味といっているのではない。


マビのお絵描きチャットでさえ、「練習」といって適当に手を動かしただけでは
見る人には何も伝えられない。

少なくとも自分が何を描いているのかを認識し、
完成させるところまで進める必要がある。

「練習」といって終始甘えてしまうと、何も生み出すことはできないのだ。

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