2014年5月17日土曜日

今「視野を広げる」のは得策ではないかもしれない

「視野が狭い」と自覚のある人は本当は広すぎる視野を持っている。
うかつに視野を広げて情報の波に身を委ねると……そのほうがまずいかもしれない。

それとは反対に一つの物事に没頭したり熱中したりするのはどうだろうか?
イメージとしては視野の広い人よりも狭い人のほうが悪い印象がありそうだが、
実際のところどうなのだろうか?

「グローバル」や「インターネット」という概念のなかった時代に比べて、
個人の意識はどのように変わっただろうか。

大きくて全体的な様相や動向はよく見えても、
それらを構成する小さくて断片的な部分は見えにくい。

かと思えば限局的な部分だけで全体を判断することもある。

ある「国」で事件や事故が起こると、「人」を考慮することなく
「この国は~~~~」とまとめて判断してしまうことがよくある。
実際にはその国のとりわけ目立った「部分」だけのことなのに、
あたかも国民のすべてがそうであるかのようにみなしてしまうのだ。

これも加減の難しい課題である。

視野が広すぎると自分の周りがあまりにも広大で、
どちらに向いているのか、どの場所にいるのか、判断がつかない。
どの方角に進むのかが決まらないからだ。

もちろん「進路」の選択肢や可能性は多い、といういい意味でもある。
しかし選択肢が多すぎて進路を決めることができず、その場に立ち尽くしたり
迷ったりするのは非常に問題である。

そうなってしまうくらいなら、もっと狭い視野で限定的な進路を選択したほうが、
結果的にはよくなるかもしれない。

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