2012/01/02

アスペルガーの鋭敏かつ鈍い五感

鋭い感覚と鈍い感覚が備わっている、という意味ではなく、
一つの感覚が鋭くもなり鈍くもなるという、非常に難しい問題です。

たとえば電化製品の出す微小なノイズを聞き取れるかと思いきや、
自分の名前を呼ぶ声がまったく聞こえないことがあります。

視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚…
いずれも極端な感覚になっています。


刺激が強すぎて苦痛になることと、
鈍いことを悪く指摘されて苦痛になることがあり、
とにかく自分の五感に振り回されているのが現状です。


人がなんとも感じないか、聞き取ることができないという音について神経をすり減らされたり、
ある種の衣類が皮膚への強烈な不快感を引き起こし、意識がかき乱されたり、
特定の食品の味、匂いなど、さまざまなものが負担となります。


たまたまはずっと家にいるので、これらの精神障害が「生活に支障をきたす」ことはないのですが、
実際に社会で何らかの活動をしなければならないアスペルガーの人にとっては、
それがいよいよ「生活に支障をきたす」ようになるため、きわめて深刻です。

それであるアスペルガーは、
成績優秀、会社でも有能、それなのに生活保護を受けている…
ということもあるのが現実です。


当事者にとっては「もはや生きていることが負担」になるほどの困難なのです。
しかしそれは健常者には理解できません
理解させようとさまざまな試みがあるのですが、根本的に脳の仕組みが違うこともあって
ほとんど話が通じません。

理解させようとする試みはことごとく失敗に終わりました。

時には図や模型を使って説明をするのですが、その内容が「作り話のようだ」とか、
自分勝手だ」「都合がよすぎる」「わがまま」というようにしか解釈されず、
すべて真実を話しているのに、歪んで伝わってしまうためです。


つまりアスペルガーの障害の本質は、そこにあるのです。




周囲の人と接するとき、障害は最大限に発現します。

話をすればするほど、相手によっては悪循環ということです。

私もそうなのですが、アスペルガーはこと自分に関してはウソをつかず、
誇張や誤解を与える表現もせず、ただ真実を語っています。


そう、、、

裏を返してみれば、アスペルガーの障害の本質は当事者にではなく、
アスペルガーではない人にあるのかもしれない…ということです。


それで、理解はできなくても、「理解しよう」と前向きに取り組んでくれる人については、
そうでない人よりもスムーズに交流することが可能になっています。

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